比志郷(読み)ひしごう

日本歴史地名大系 「比志郷」の解説

比志郷
ひしごう

現在の比志に比定される。永禄四年(一五六一)の番帳の六九番に「帯の禰き」とともに「ひしの禰き」がみえ、当地蔵王権現(現比志神社)禰宜と思われる。慶長一三年(一六〇八)の番帳の六五番にも江草えぐさの禰宜とともに比志の禰宜がみえる。武田氏滅亡後の天正一〇年(一五八二)九月七日、津金衆の小尾監物祐光は本領六四貫余を安堵され、比志郷三〇貫文を含む新知行二八〇貫文を宛行われた(「徳川家印判状写」寛永諸家系図伝)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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