毛利 元徳(読み)モウリ モトノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「毛利 元徳」の解説

毛利 元徳
モウリ モトノリ


肩書
山口藩知事,貴院議員

別名
諱=定広 広封 字=世敏 通称=〓之尉 長門守 号=静斎 萩の舎 波支曽能 躑躅園

生年月日
天保10年9月22日(1839年)

出生地
周防国徳山(山口県)

経歴
萩藩主毛利慶親(敬親)の養子となり、文久3年父に代わって朝幕間周旋の指揮をとり、京都、江戸間を往来尊攘を唱え、3年攘夷断行の勅命を出させることに成功、下関での米国船砲撃を実行。しかし8.18政変で入京を禁止され、禁門の変で官位を奪われた。幕府の長州征討に一時恭順に傾いたが、高杉晋作らの革新派が勝ち、慶応2年長州再征軍を破った。3年討幕の密勅を受けたが、王政復古となり明治元年官位を回復。鳥羽伏見の役に上洛議定となる。2年山口に帰り家督を相続、山口藩知事となった。4年東京に移住。10年第十五国立銀行頭取、17年公爵、23年貴院議員となる。

受賞
従一位

没年月日
明治29年12月23日

家族
実父=毛利兵庫頭広鎮(徳山藩主) 養父=毛利 慶親(萩藩主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報