養父(読み)ヤブ

デジタル大辞泉 「養父」の意味・読み・例文・類語

やぶ【養父】

兵庫県北部の市。平成16年(2004)八鹿ようか町、養父町大屋町関宮せきのみや町が合併して成立。市内にある明延あけのべ鉱山はかつてすず産出量日本一だったが、昭和62年(1987)に閉山。氷ノ山ひょうのせん鉢伏はちぶせ高原にはスキー場が多い。人口2.7万(2010)。

よう‐ふ〔ヤウ‐〕【養父】

養子先の父。また、養い育ててくれた義理の父。
[類語]義父まま父継父岳父

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精選版 日本国語大辞典 「養父」の意味・読み・例文・類語

よう‐ふヤウ‥【養父】

  1. 〘 名詞 〙 養子先の父。養家の父親。また、養育してくれた義理の父。
    1. [初出の実例]「一条摂政殿御堂養父云々」(出典:古事談(1212‐15頃)二)
    2. 「Kの手紙を見た養父(ヤウフ)は大変怒りました」(出典:こゝろ(1914)〈夏目漱石〉下)
    3. [その他の文献]〔五代史‐唐荘宗劉后本紀〕

やぶ【養父】

  1. 兵庫県の中北部の地名。円山川支流、大屋川と八木川の流域にある。西部の氷ノ山付近は氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されている。平成一六年(二〇〇四)市制。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「養父」の意味・わかりやすい解説

養父(市)
やぶ

兵庫県の北西部に位置する。2004年(平成16)に養父郡の八鹿(ようか)、養父、関宮(せきのみや)、大屋(おおや)の4町が合併、市制を施行して養父市となった。西部の鳥取県境には兵庫県最高峰の氷ノ山(ひょうのせん)(1510メートル)、北部西寄りには妙見山(1139メートル)がそびえ、氷ノ山の南東方に若杉(わかすぎ)高原、北東方に鉢伏(はちぶせ)高原(ハチ高原)などの高原地帯が連なる。西部山岳地帯を水源とする八木(やぎ)川、大屋川などが東流し、市域東部を蛇行しながら北西流する円山川(まるやまがわ)に注ぐ。八木川は小佐(おさ)川、大屋川は明延(あけのべ)川、建屋(たきのや)川などの支川を集め、集落・耕地は各河川沿いの沖積地や河岸段丘上に発達。市域を国道9号が横断、312号が縦断し、円山川沿いにJR山陰本線が通じる。西部の山岳地帯は氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)、およびこれに連なる但馬山岳県立自然公園の域内。八木川北岸に位置する箕谷古墳群(みいだにこふんぐん)の2号墳(国指定史跡)からは「戊辰」銘の鉄刀が出土、「戊辰」は608年にあたると推定され、銅象嵌銘(がんめい)としては国内でもっとも古い。市域は古代~近世の但馬国養父郡の境域とほぼ合致する。『延喜式』神名帳には養父郡24社(30座)が記載され、うち名神大社の「夜夫坐神社」は現在の養父神社に、水谷神社は奥米地(おくめいじ)鎮座の同名社に、同じく神名帳記載の名草神社は、妙見山北東山腹に所在する同名社に比定される。名草神社は中世には八鹿町石原(ようかちょういしはら)にあった妙見山日光院と関係を深めて妙見宮とよばれ、日光院は但馬地方における妙見信仰の中核となった。名草神社の三重塔は出雲大社からの移築と伝え、国指定重要文化財八木城跡(国指定史跡)は、中世養父郡の国人領主八木氏(日下部一族)の居城跡。八木氏退城後の1585年(天正13)には豊臣秀吉家臣の別所氏が城主となり、関ヶ原合戦後の別所氏転封で廃城となった。八木氏居城の時代から城下町(八木市場)が形成され、鍛冶屋・紺屋などの職人も住していた。江戸時代、養父市場村、八鹿村広谷村などは水陸交通(山陰道、およびその支路と円山川舟運)の接点となり、近在の流通・商業の中心として栄えた。うち、養父市場村は但馬牛集散地となり、八鹿村は江戸時代後期に養蚕業が盛んになると、繭の集積地としてにぎわい、八鹿商人の活躍は近代に続いた。近代に入ると、市域に製糸工場も進出、養父市場では製糸工場から排出されたサナギを飼料とした養鯉(ようり)業(現在はニシキゴイの飼育)がおこっている。明延川最上流域の山地にあった明延鉱山は、戦国時代末期から江戸時代初期には銀山、その後は銅山として栄えた。近代に入り、1896年(明治29)には三菱傘下となって銅・亜鉛・スズの鉱山として稼働、スズ産出量は日本有数を誇ったが、1987年(昭和62)閉山となった。現在の主産業は農林畜産業で、ブランド米の蛇紋岩米のほか、高原野菜、富有柿、轟(とどろき)大根などが特産。また花卉(かき)栽培、食肉牛(但馬牛)の肥育も盛ん。氷ノ山東麓やハチ高原にはいくつかのスキー場がある。能座(のうざ)にある建屋のヒダリマキガヤは国指定天然記念物。大屋町加保(おおやちょうかぼ)の加保坂湿原は西日本で唯一のミズバショウ自生地。面積422.91平方キロメートル、人口2万2129(2020)。

[編集部]



養父
やぶ

兵庫県中北部、養父郡にあった旧町名(養父町(ちょう))。現在は養父市の南東部を占める一地区。1940年(昭和15)養父市場村が町制施行して養父町となり、1957年(昭和32)明神(みょうじん)町に編入、養父町と改称。なお明神町は1956年に広谷(ひろたに)町と建屋(たきのや)村が合併して成立。2004年(平成16)八鹿(ようか)、大屋(おおや)、関宮(せきのみや)の3町と合併、市制施行して養父市となる(なお、この合併により養父郡は消滅)。旧養父町は、円山(まるやま)川とその支流大屋川、建屋川流域の町で、JR山陰本線と国道9号、312号が走る。養父市場は山陰道の宿場町であり、またかつて牛市や農産物市が立ち、但馬(たじま)養蚕の中心であった。いまはブロイラーや和牛飼育などの畜産が盛んで、ニシキゴイの養殖も行われる。但馬最古といわれる式内社の養父神社、県下最大の大藪(おおやぶ)古墳群がある。また、樹齢700年といわれるカヤの巨木「建屋のヒダリマキガヤ」は、国の天然記念物に指定されている。古民家を利用した民俗資料館には、養蚕、和牛、炭焼き関係の生活用具・資料などが展示されている。森地区にキャンプ場などを備えた石ヶ堂古代村がある。

[大槻 守]

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改訂新版 世界大百科事典 「養父」の意味・わかりやすい解説

養父[市] (やぶ)

兵庫県北西部の市。2004年4月大屋(おおや),関宮(せきのみや),養父,八鹿(ようか)の4町が合体して成立した。人口2万6501(2010)。

養父市南西部の旧町。旧養父郡所属。人口4785(2000)。円山(まるやま)川支流,大屋川の流域を占め,周囲に氷ノ山(ひようのせん),藤無山など標高1000m級の山がそびえる。町域の9割以上を山林が占め,集落は峡谷に沿って散在する。中心集落は大屋川と明延(あけのべ)川の合流点に位置する大屋市場で,古くからの物資の集散地である。南部には平安初期の発見といわれる明延鉱山があって,銅,スズ,亜鉛などを産出していた。一時は町の就業人口の1/3を鉱業従事者が占めたが,合理化の進行により激減した。1987年閉山。人口も減少傾向を続け,過疎化が進んでいる。日本の南西限とされるミズバショウの群生地や天滝渓谷などの景勝地もある。

養父市北西部の旧町。旧養父郡所属。人口4586(2000)。氷ノ山を源とする円山川支流の八木川が東流し,沿岸にわずかに水田が展開する。鉢高原などの高原状地形が広がり,山林が町域の大部分を占める。中心集落の関宮は,江戸時代山陰道(現,国道9号線)の宿場町として栄えた。八木川南岸の中瀬鉱山は天正年間(1573-92)金山として開かれ,江戸時代は生野代官所の直轄地となって繁栄した。のち銅,スズ,アンチモンを産するようになり,特にアンチモンは最盛期に全国産出量の8割を占めたが,1969年に閉山した。主産業は農林業と観光業で,米作,花卉栽培,高冷地野菜の栽培,和牛飼育が行われ,鉢高原などのスキー場は京阪神からのスキー客でにぎわう。葛畑(かずらはた)の農村歌舞伎舞台は重要民俗資料に指定されている。

養父市東部の旧町。旧養父郡所属。人口8728(2000)。円山川とその支流の大屋川,建屋(たきのや)川沿いに水田,集落が開けるほかは山地が連なる。冬の降雪が多く,山間部では1mに達する。円山川沿いにJR山陰本線が走り,国道9号線も通る。円山川沿岸の養父市場は近隣の農山村の商業中心として発達し,牛市も開かれた。明治以降,養蚕が盛んになると,製糸・メリヤス工場も進出した。養蚕の副産物であるさなぎを飼料にしたコイの養殖は,養蚕が衰微した現在も盛んに行われ,観賞用のニシキゴイの産地として知られる。山間部の農村では和牛(但馬牛)の飼育やブロイラー生産などの多角経営が進められている。養父市場にある養父神社は牛の神,農業の神として信仰を集め,北東部の大藪には6~7世紀ころと推定される140余の古墳群がある。建屋のヒダリマキガヤは樹高30m余の巨木で,天然記念物に指定されている。

養父市北部の旧町。旧養父郡所属。人口1万2011(2000)。円山川中流域に位置し,川沿いに集落と水田が開けるが,周囲は山に囲まれている。中心地の八鹿は円山川とその支流の合流点に位置し,山陰道の宿場町として発達した。明治以降は郡役所も置かれた。JR山陰本線,国道9号,312号線が通じ,交通の便がよいため,但馬(たじま)地方のバス交通の中心をなし,商業も活発である。かつては但馬地方の養蚕の中心地で,製糸,織物などの工場があったが,近年は機械工業や食品工業が中心である。農業は畜産が主となっている。宿南(しゆくなみ)には但馬聖人と呼ばれた池田草庵(1813-78)の開いた漢学塾青谿書院の跡がある。妙見山(1139m)にある名草(なぐさ)神社の三重塔は重要文化財に指定されており,境内に樹高57mの夫婦杉(天)がある。
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百科事典マイペディア 「養父」の意味・わかりやすい解説

養父[市]【やぶ】

兵庫県西北部,円山川流域の市。2004年4月養父郡養父町,八鹿町,大屋町,関宮町と合併,市制。山地では木材,シイタケ,野菜を産する。関宮や八鹿は但馬牛の本場で大規模な畜産団地もある。西部の氷ノ山周辺にはスキー場が点在。南部には明延鉱山があった。山陰本線,国道9号線,312号線が通じる。422.91km2。2万6501人(2010)。

養父[町]【やぶ】

兵庫県北部,養父郡の旧町。円山(まるやま)川の中流域にある。カイコの蛹(さなぎ)を飼料としてニシキゴイを養殖,但馬(たじま)牛飼育も行われる。山陰本線が通じる。2004年4月養父郡八鹿町,大屋町,関宮町と合併し,養父市となる。111.84km2。8918人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「養父」の意味・わかりやすい解説

養父
やぶ

兵庫県中北部,養父市の南東部を占め,円山川上流と支流建屋 (たきのや) 川流域にある地区。旧町名。 1940年町制。 1957年明神町と合体。 2004年4月八鹿,大屋,関宮の3町と合併し市制。古くから但馬養蚕の中心地として発展した。さなぎを餌に利用して始まった食用の養鯉業はニシキゴイなどを主とする観賞用養鯉へ変わった。養父市場は但馬牛の牛市の発祥地。建屋のヒダリマキガヤは樹齢約 700年,高さ約 25mの巨木で国の天然記念物。 JR山陰本線,国道9号線が通る。

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世界大百科事典(旧版)内の養父の言及

【親子】より

…実親は生みの親であり,親子関係の中心的な重要性をもつ親である。義理の親には,配偶者の父母であるシュウトオヤ,ママオヤと養子縁組による養父,養母がある。シュウトオヤについては実親と同等に扱われる場合とそうでない場合とがあり,とくに嫁の父母と聟との関係は,聟と聟の両親および嫁と聟の両親との関係に比べて低くみられることが多かった。…

【離婚】より

…養子が養家を家督相続した後は,養親もこれを離縁することができなかった。百姓,町人の場合は,養父は,養子が家督相続する前であれ,後であれ,心底にかなわない養子を離縁できたし,養子の側からの離縁請求も可能であった。また養父の死後養母が養子を離縁することも,庶民の場合は認められていた。…

※「養父」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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