日本歴史地名大系 「毛原郷」の解説
毛原郷
けばらごう
西南流する
寛弘元年(一〇〇四)九月二五日の太政官符案(前田家本「高野寺縁起」所収)に「応寺家地与中納言平示、打籠彼庄之領地(中略)望請蒙天裁、任旧領被令停止他妨者、左大臣宣、奉勅、宜加下知、寺家地与中納言平卿所領四至内、慥可注進者(後略)」とあり、当時「毛無原」とよばれた当地は、平惟仲と高野山との係争地の一つであったことが知られる。郷名は寛弘五年一〇月二七日の金剛峯寺帖案(金剛峯寺雑文)のうちに「志賀・長谷・毛無原・阿手河等郷」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報