毛原郷(読み)けばらごう

日本歴史地名大系 「毛原郷」の解説

毛原郷
けばらごう

西南流する貴志きし川の谷間とその両岸山地を郷域とし、高野山領六箇七ろつかしち郷の一つ。郷域は現美里町毛原下けばらしも小西こにし毛原宮けばらみや・毛原中・毛原上付近と考えられる。

寛弘元年(一〇〇四)九月二五日の太政官符案(前田家本「高野寺縁起」所収)に「応寺家地与中納言平(惟仲)所領庄田四至内慥令注進山地田畠事」として「右得金剛峯寺去七月廿八日奏状称(中略)件卿所領石垣庄司等、恣奪妨推取、所謂其所妨取押戸・立神・椙原・花薗・志賀長谷・毛無原・古佐布等地也、或抜捨寺家之示、打籠彼庄之領地(中略)望請蒙天裁、任旧領被令停止他妨者、左大臣宣、奉勅、宜加下知、寺家地与中納言平卿所領四至内、慥可注進者(後略)」とあり、当時「毛無原」とよばれた当地は、平惟仲と高野山との係争地の一つであったことが知られる。郷名は寛弘五年一〇月二七日の金剛峯寺帖案(金剛峯寺雑文)のうちに「志賀・長谷・毛無原・阿手河等郷」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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