志賀(読み)シガ

デジタル大辞泉 「志賀」の意味・読み・例文・類語

しが【志賀】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「志賀」姓の人物
志賀潔しがきよし
志賀重昂しがしげたか
志賀直哉しがなおや

しが【志賀】

滋賀県琵琶湖西岸、現在の大津市一帯の古称。[歌枕
「ささなみの―の唐崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ」〈・三〇〉

しか【志賀】

福岡市志賀島しかのしま。[歌枕]
「―のあまの塩焼く煙かぜをいたみ立ちは上らで山にたなびく」〈新古今・雑中〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「志賀」の意味・読み・例文・類語

しが【志賀】

  1. [ 一 ]しが(滋賀)[ 一 ]
  2. [ 二 ] 能楽の曲名。脇能物。観世・宝生・金剛・喜多流。作者未詳。古名「黒主(くろぬし)」「志賀黒主」。臣下が近江国志賀の山桜を見に行くと、大伴黒主が翁の姿で現われ和歌の徳を述べる。のち志賀の山神として現われて、舞を舞い御代をたたえる。

しか【志賀】

  1. 福岡市の北端にある志賀島(しかのしま)のこと。
    1. [初出の実例]「然(しか)の海人は藻(め)刈り塩焼き暇なみ髪梳(くしげ)の小櫛取りも見なくに」(出典:万葉集(8C後)三・二七八)

しが【志賀・四賀】

  1. 姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「志賀」の意味・わかりやすい解説

志賀[町] (しか)

石川県北部,能登半島西岸にある羽咋(はくい)郡の町。2005年9月旧志賀町と富来(とぎ)町が合体して成立した。人口2万2216(2010)。

志賀町南部の旧町。羽咋郡所属。人口1万5681(2000)。能登半島の西岸に位置し,於古川,米町(こんまち)川沿いに沖積低地が広がり,合流点に市街地が発達する。中央部の福野平野はかつての潟湖が陸化したものである。中心集落の高浜町は若狭の小浜,高浜の漁師が移住して形成された集落で,商店や工場が多く,周辺バス交通の中心となっている。農業が基幹産業で,米作を中心にスイカ,柿の栽培が行われる。南部の丘陵地では瓦を生産する。能登中核工業団地や北陸電力志賀原子力発電所(1993年運転開始)がある。海岸部は能登半島国定公園に含まれる。能登道路のインターチェンジがある。

志賀町北部の旧町。能登半島西岸に位置する。羽咋郡所属。人口9715(2000)。中心地は国道249号線の通じる富来川河口の領家町,地頭町で,商工業が盛んである。南部の福浦(ふくら)港は古代に渤海使節が入港した港町で,江戸時代には北前船の避難港,風待港として栄えた。現在は西海(さいかい)港とともに能登半島の沿岸漁業の中心となっている。農業は米作のほかに,砂丘地での野菜栽培が盛んで,畜産も行われる。奇岩の多い海食海岸は能登金剛と呼ばれる景勝地で,能登半島国定公園に属する。北部に能登富士と呼ばれる高爪山(341m)がある。
執筆者:


志賀 (しが)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志賀」の意味・わかりやすい解説

志賀
しが

滋賀県南西部、滋賀郡にあった旧町名(志賀町(ちょう))。現在は大津市(おおつし)の北部を占める一地区。旧志賀町は1955年(昭和30)和邇(わに)、木戸、小松の3村が合併、町制を施行して成立。2006年(平成18)大津市に編入。旧町域の東部は琵琶(びわ)湖に面し、西の比良(ひら)山系との間に小規模な複合扇状地が広がる。湖岸をJR湖西線(こせいせん)、国道161号(西近江(おうみ)路)が走り、その西側を国道161号の志賀バイパス、湖西道路が通る。古代豪族和珥(わに)氏とその支族の小野氏、真野氏の根拠地で、南端の旧和邇村小野には小野篁(たかむら)神社、小野道風(とうふう)神社(ともに本殿は国の重要文化財)、遣隋使(けんずいし)小野妹子(おののいもこ)墓がある。湖岸は、比良山地から運ばれた花崗(かこう)岩の白砂と松林が続き、雄松崎(おまつざき)一帯は近江舞子(おうみまいこ)と称して観光客が多い。湖岸には松の浦、和邇浜など11か所の水泳場がある。また山麓(さんろく)は比良山系への登山口としてアルプスゴンドラやリフトが整備され、スキー場もつくられている。農林業や浅水漁業が行われ、1974年の湖西線の開通を契機に宅地化などの景観変容がおこっている。

[高橋誠一]

『『志賀町史』全3巻(1996~2002・志賀町)』



志賀(町)
しか

石川県北部、羽咋郡(はくいぐん)にある町。1954年(昭和29)志加浦(しかうら)、堀松(ほりまつ)、加茂(かも)、土田(つちだ)、上熊野(かみくまの)の5村が合併して町制施行。1970年高浜(たかはま)町と合併。2005年(平成17)羽咋郡富来町(とぎまち)と合併。能登(のと)半島基部の丘陵地に位置し日本海に面する。国道249号、のと里山海道が通じる。貝塚、古墳に富み、近世には製塩、海運が盛んで晒(さらし)を特産した。高浜地区は近世初期に若狭(わかさ)の漁民が移住して開いた地である。米作のほかタバコ、スイカ、ころ柿(がき)を産し、瓦(かわら)、繊維工業が発達し、町の中央部に能登中核工業団地がある。海水浴場が多い。北陸電力志賀原子力発電所が1993年(平成5)に営業運転を開始した。面積246.76平方キロメートル、人口1万8630(2020)。

[矢ヶ崎孝雄]

『『志賀町史』全5巻(1974~1980・志賀町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「志賀」の意味・わかりやすい解説

志賀[町]【しが】

滋賀県西部,滋賀郡の旧町。琵琶湖に臨み,湖西(こせい)線,湖西道路が通じる。西部は比良山地。農業を営む。湖岸に近江(おうみ)舞子などの水泳場があり,琵琶湖国定公園に属する。1993年に琵琶湖がラムサール条約登録湿地となる。小野篁(おののたかむら)神社,小野妹子の墓がある。2006年3月大津市へ編入。71.73km2。2万2637人(2003)。
→関連項目和邇

志賀[町]【しか】

石川県北部,能登半島西岸の羽咋(はくい)郡の町。中心集落は高浜で,瓦を特産。漁港安部屋(あべや)は近世北前船の港,安部屋布産地として栄えた。海岸には景勝の能登金剛があり,能登半島国定公園に含まれる。2007年3月に発生した能登半島地震では家屋などに多数の被害が出た。2005年9月羽咋郡富来町を編入。246.76km2。2万2216人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志賀」の意味・わかりやすい解説

志賀
しが

滋賀県南西部,大津市北東部の旧町域。琵琶湖の西岸にある。 1955年和邇村,木戸村,小松村の3村が合体して町制施行。 2006年大津市に編入。比良山地とその東側に展開する複合扇状地からなる。雄松崎 (近江舞子) ,青柳ヶ浜,松ノ浦など白砂青松の湖岸は水泳場,キャンプ場,別荘地として開発され,比良山は登山客,スキー客でにぎわうなど京阪神地区の観光保養地の性格が強い。小野神社 (篁神社本殿,道風神社本殿は国指定重要文化財) がある。大部分が琵琶湖国定公園に属する。

志賀
しか

福岡県北西部,福岡市東区の地区。旧町名。旧志賀町は志賀島および海ノ中道西半から成り,1953年町制,71年福岡市に編入。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の志賀の言及

【大友黒主】より

…猿丸大夫の子であるとか,陰陽師であったなどという話が没後まもなく発生している。大津市に黒主を祭神とする社があり,《無名抄》(鴨長明)に記されている(謡曲《志賀》にはこの神が和歌の神として姿をあらわす)。近江国滋賀郡大友郷出身で園城(おんじよう)寺(三井寺)の神祠別当であったらしい。…

【和邇】より

…滋賀県滋賀郡志賀町南部の地名。和邇川が比良山系から琵琶湖にそそぐ一帯。…

※「志賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android