民主スロバキア運動(読み)みんしゅスロバキアうんどう(その他表記)Hnutie za Demokratické Slovensko

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「民主スロバキア運動」の意味・わかりやすい解説

民主スロバキア運動
みんしゅスロバキアうんどう
Hnutie za Demokratické Slovensko

スロバキア政党。旧チェコスロバキア時代に民主化を推進したスロバキア側の市民組織「暴力に反対する大衆 (VPN) 」の一部が 1991年5月に結成した。民族主義的な立場から国内産業の保護,少数民族の保護,ヨーロッパ連合 EUおよび北大西洋条約機構 NATOへの積極的参加を掲げる。 92年6月の総選挙で 37%の得票を獲得,90年6月から 91年3月まで共和国首相をつとめていたウラジーミル・メチアル党首が共和国首相に返り咲いた。メチアルはチェコ側の首相に就任した市民民主党のクラウス議長とチェコスロバキア連邦の解体に基本合意し,93年1月の分離・独立劇の主導権を握った。しかしその後,メチアル首相の権威主義的な政治手法に批判が集ったことで,93年4月にはクニャシコ派を,翌年2月はモラウチーク派を除党したが,94年3月には内閣不信任案が可決され野に下った。だが同年9,10月の総選挙ではスロバキア農民党と選挙協力を組んで第1党の地位に返り咲き,スロバキア国民党,スロバキア労働者協会と連立協定を結び,同年 12月第3次メチアル内閣が発足した。その後メチアル首相の専横政治が国内外から批判を招き,98年9月総選挙ではかろうじて第1党の座を維持したものの他党から連立を拒否された。その結果メチアル内閣は退陣に追込まれ,スロバキア民主連合のミクラシュ・ジュリンダを首班とする連立内閣政権を譲った。

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