…この考えは,第2次大戦後この種の環濠集落である大和の若槻庄(現,大和郡山市)の集落についての史料による歴史地理的復原を渡辺澄夫が行った結果,直接的にはこの宅地割が古代の条里制施行時にまでさかのぼることの可能性が少なくなったが,なお当初の地割の理想像として存在したとする仮説は生きていると考えてよい。以降の村落研究は,村落形態においても時代的変化を織り込んだフランス学派の立場にたった史的追求がなされ,古代末に小村~疎塊村が形成され,それが中世には集村へと移行したとする論に傾いてはいるが,なお永原慶二によって出された中世散居小村論との基本的関係については,今後の重要な検討課題として残されている。 集落地理学としての都市研究は,山崎直方の《わが国市邑の地理的組織》(1904)および《清国の都邑の構造について》(1906)に始まる。…
…その後,竹内理三,今井林太郎らは活発な個別荘園研究を背景に,荘官・荘民,年貢・公事(くじ)の実態など,内部構造の解明を進めたが,土地公有制をとる律令制との対立の中で荘園をとらえる一方,地頭・守護などの武士に荘園を変質・崩壊させる力を見いだす点では共通した見方に立ち,荘園整理令や下地中分(したじちゆうぶん),半済(はんぜい)などもその観点から追究した。こうした蓄積に裏づけられて第2次大戦後,石母田正,永原慶二らはマルクス主義の立場から,荘園制を古代的な大土地所有の体系とし,在地領主によるその克服に中世封建制の成立をみる見方を定式化したのである。 これに対し第2の潮流は,荘園を公的な意味を持つ国制の一環としてとらえ,荘園の伝領関係に目を向け,国衙領に注目する見方で,水戸学,国学など江戸時代にその根を持つものから,逆に荘園を制度的な外被とみて,その枠にとらわれぬ庶民の生活を追究する方向まで含んでいる。…
※「永原慶二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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