ブラジル文学(読み)ぶらじるぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラジル文学」の意味・わかりやすい解説

ブラジル文学
ぶらじるぶんがく

ブラジルでは植民地時代の初期、植民者や宣教師などポルトガル人と先住民インディオとの間でコミュニケーションの道具としてインディオのことばが使われたこともあるが、公用語はもっぱらポルトガル語である。したがってブラジル文学はポルトガル語によるものであり、ポルトガル文学との境界は、とりわけ植民地時代にはあいまいであり、両国文学史に含まれる作家、詩人も存在する。

[高橋都彦]

初期から19世紀まで

1500年にポルトガル人によって「発見」されて以来300年以上にわたる植民地時代のブラジルには、神学校を除いて教育機関の設立も、新聞、図書の発行も許されず、厳密な意味での文学活動の行われる環境はなかった。1822年に政治的に独立し、フランスからロマン主義が紹介されると、文学でもナショナリズムが高揚した。このロマン主義期(1836~1881)の代表的詩人は、先住民インディオをテーマとしたゴンサルベス・ディアスGonçalves Dias(1823―1864)と奴隷解放運動に尽くしたアントニオ・カストロ・アルベスである。この期に書き始められたブラジルの小説は、先住民やブラジル各地の人間像や風物をポルトガルのものとは異なるブラジル的な文体で描いたジョゼ・デ・アレンカールにより確立された。引き続きヨーロッパ文学の影響を受けた写実・自然主義期(1881~1893)に入ると、アルイジオ・アゼベドAluísio Azevedo(1857―1913)やラウル・ポンペイアRaul Pompéia(1863―1895)らがスラム街、寄宿学校などの周辺的な階層、共同体に目を向けている。『ブラス・クーバスの死後の回想』(1881)などで鋭い心理分析による冷徹な人間観察を通じて、リオ・デ・ジャネイロの上流家庭の崩壊を洗練された文体で描いたジョアキン・マリア・マシャード・デ・アシスはブラジル文学最大の作家の一人と評価される。詩では官能的なオラーボ・ビラックOlavo Bilac(1865―1918)が高踏派を代表し、音楽性豊かな作品で「黒いダンテ」と綽名(あだな)された黒人詩人クルス・イ・ソウザがブラジル象徴主義期(1893~1922)を代表する。

[高橋都彦]

近代以降

その当時のブラジル知識人の目をヨーロッパから国内問題に転じさせ、後の作家に大きな影響を及ぼしたノンフィクション『奥地の反乱』(1902)のエウクリデス・ダ・クーニャは、19世紀文学から近代主義への過渡期、プレ近代主義期(1902~1922)を代表している。ほかに、非人間的な官僚制度、黒人と女性の低い地位を批判したリーマ・バレットLima Barreto(1881―1922)、疲弊したコーヒー農園を描き、またブラジル児童文学の創始者でもあるモンテイロ・ロバットMonteiro Lobato(1882―1948)らがあげられる。

 1920年代に入ると、イタリアの未来派、ドイツの表現主義などヨーロッパ前衛運動に接した若い世代がブラジルの芸術・文学をこれに同調させようと努め、近代主義期(1922~1945)を展開させた。初期は、サン・パウロが中心になり、オズバルド・デ・アンドラーデOswald de Andrade(1890―1954)、マリオ・デ・アンドラーデ、マヌエルバンデイラらの詩人が互いに異なるさまざまな傾向をみせながらも、いずれも伝統的な形式と決別した詩作を行った。1930年代には、ジョルジェ・アマード、グラシリアノ・ラーモス、ジョゼ・リンス・ド・レゴら北東部地方出身の作家が同地方の社会問題を地方的な文体で描いた。ほかに、南部地方を描いたエリコ・ベリッシモ、詩ではカルロス・ドルモン・デ・アンドラーデ、女性詩人セシリア・メイレレスCecília Meireles(1901―1964)が傑出している。

 第二次世界大戦後では、地方主義的な小説の枠を大きく超えた『大いなる奥地』(1956)のジョアン・ギマランエス・ローザ、コスモポリタンで実存主義的な女性作家クラリッセ・リスペクトル、詩では乾いて映像的なジョアン・カブラル・デ・メロ・ネトJoão Cabral de Melo Neto(1920―1999)がブラジル文学を代表する地位を占めている。アドニアス・フィーリョ、アウトラン・ドラードAutran Dourato(1926―2012)、リジア・ファグンデス・テレスLygia Fagundes Telles(1923―2022)、ジョアン・ウバルド・リベイロJoão Ubaldo Ribeiro(1941―2014)らも優れた作品を残している。

 近代ブラジル演劇は、精神分析を採り入れたネルソン・ロドリゲスNelson Rodrigues(1912―1980)によって始まった。そのほかにディアス・ゴメスDias Gomes(1922―1999)の脚本やミュージシャンでもあるシコ・ブアルケ・デ・オランダChico Buarque de Holanda(1944― )らの作品が注目される。

[高橋都彦]

民衆本の伝統

大衆文芸の一つとして、「紐(ひも)の文学」「フォリェット」などとよばれる、ブラジルとくに北東部地方に存在する小冊子(縦16センチメートル、横11センチメートル、8ページからなるものが多い)は、19世紀までに世界各地にみられた民衆本の系譜につらなるもので、その特異な存在は1960年代から世界的に注目されてきた。これは、地元の英雄、聖人、扇情的な事件などから時事ネタ、世界的な大事件までを題材にした韻文が、表紙の木版画とともに粗悪な紙に印刷されたものである。野外市などの屋台で紐につり下げられて売られ、作者の詩人や売り手に朗唱され、これにより文字が読めない民衆にも内容が知らされる。この北東部地方、とくに内陸部はブラジル社会の近代化の動きから取り残された観があり、それが今日でもここに民衆本が存続している理由であろう。さらにこの地方から多くの貧しい人々が南部の大都会へ労働者として移住しているので、この人々を目当てに南部でも民衆本が刊行されているものと推測される。

[高橋都彦]

『クラリッセ・リスペクトール著、高橋都彦他訳『G・Hの受難・家族の絆』(1984・集英社)』『ギマランエス・ローザ著、中川敏訳『大いなる奥地』(『筑摩世界文学大系』所収・1986・筑摩書房)』『ジョルジェ・アマード著、阿部孝次訳『砂の戦士たち』(1995・彩流社)』『ジョルジェ・アマード著、武田千香訳『果てなき大地』(1996・新潮社)』『エリコ・ヴェリッシモ著、伊藤奈希砂訳『野の百合を見よ』(1996・地湧社)』『エリコ・ヴェリッシモ著、伊藤奈希砂訳『遙かなる調べ』(2000・彩流社)』『ジョゼー・リンス・ド・レーゴ著、田所清克訳『砂糖園の子』(2000・彩流社)』『ジョルジェ・アマード著、高橋都彦訳『老練なる船乗りたち』(旺文社文庫)』

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