デジタル大辞泉 「社会」の意味・読み・例文・類語
しゃ‐かい〔‐クワイ〕【社会】
1 人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「
2 人々が生活している、現実の世の中。世間。「
3 ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。「学者の
4 共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。「ライオンの
5 「社会科」の略。
[類語](1)ソサエティー・コミュニティー/(2)
翻訳|society
( 1 )幕末から明治初期にかけて、西洋の society という概念に対応する訳語としては「交際」「仲間」「組」「連中」「社中」などが当てられていた。その中で、福地桜痴が明治八年(一八七五)一月一四日の「東京日日新聞」に初めて「ソサイチー」のルビ付きで「社会」という語を使用した。
( 2 )「和英語林集成」の初版にはないが、改正増補版(一八八六)では見出し語に立つようになる。ただし、最初は当時の「会社」と重なる部分が多く、かなり狭い意味で用いられていた。明治一〇年頃から一般に普及し、現在のような広い意味で使用されるようになった。
複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつきを社会という。この定義では,街頭の群集や映画の観衆のような流動的・一時的な集りは排除されているが,人びとのあいだに相互行為があるとか役割関係があるとか共通文化があるとかいったような,社会学的によりたちいった限定についてはまだふれられていない。これらの点の考察はもう少しあとの段階で述べよう。
日本語の〈社会〉という語は,1875年に,《東京日日新聞》の主筆をしていた福地桜痴によって,英語のsocietyの訳語としてつくられたという。当時は,ほかに〈世態〉〈会社〉〈仲間〉〈交際〉などの訳語も行われていたが,しだいに淘汰されて〈社会〉に一本化されていった。つまりこの語は訳語として登場したのであって,それ以前の日本には概念としてなかったものである,という点が重要である。しかし江戸時代には,井原西鶴の《世間胸算用》(1692)や,江島其磧(きせき)の《世間子息気質(むすこかたぎ)》(1715)などの題名に使われている〈世間〉という語があって,〈人の世〉〈世の中〉といった意味をあらわしていた。
中国語に関しては,宋代の儒学者程伊川(1033-1107)の遺著《二程全書》に〈郷民為社会〉とあるのが引用されるのが常である(この句は朱子と呂祖謙によって編さんされた《近思録》にも収録されている)。しかし中国の古い語義では,〈社shè〉というのは土地の神を祭ったところという意味で,上記の用例ではこれに人びとの集りという意味の〈会huì〉をつけて,〈村人たちが土地の神を祭ったところに集まる〉といっているのであるから,これは現代の意味での社会とは別のことである。現代の中国語で用いる〈社会〉は,日本語からの逆輸入によるものである。
英語のsocietyはフランス語のsociétéが16世紀に導入されて変化したもので,フランス語はラテン系の言葉だからsociétéの語源はラテン語のsocietasである。societasは仲間,共同,連合,同盟といった意味をあらわしていた。ドイツ語のGesellschaftの語幹GeselleはSaalgenoss,すなわち〈同一の室にいる仲間たち〉を語源とするもので,この空間的表象が中世後期に〈人びとの結びつきVerbindungen von Menschen〉を意味するものに転じて,〈社会〉の概念ができた。明治の初年に日本の知識人たちが,これらの西洋語を〈仲間〉とか〈交際〉などと訳したのは語義として当たっていたということができる。
しかし西洋語のこれらの概念は,いずれも近代初頭,すなわち17~18世紀において社会科学の母体をなしたイギリスおよびフランスの啓蒙思潮と,その系譜を引くイギリスの道徳哲学および古典派経済学,フランスの理性主義的進歩史観および実証哲学,ドイツの観念論哲学などの諸思想の中で,〈市民社会civil society,bürgerliche Gesellschaft〉という,抽象化された概念へと高められ,近代思想の中核を形成するにいたる。この抽象化された中核概念をあらわすのに,日常性の中での具体的イメージを担った〈仲間〉とか〈交際〉ではぐあいが悪い。〈社会〉という語は,江戸時代までの日本になかった新しい造語である点で,またその抽象化された語感とあいまって,この西洋近代の中核思想をよく日本語の中に移す効力を発揮したということができよう。
社会は最も広い意味では人間に関する事象の総体(ただし自然としての人間,すなわち生理的・動物的レベルの事象を除く),すなわち〈自然〉対〈社会〉という対比の文脈での社会を意味する。これはギリシア哲学以来のフュシス対ノモスという対比におけるノモスに当たり,人間にとって所与の自然に対して,人間がつくった習慣や法律や制度など人為の世界をあらわしている。これがここでいう広義の社会であって,自然科学に対する意味で,社会科学というときの社会は,この意味のものである。社会科学は,経済学,政治学,法律学,社会学をはじめとする多くの個別科目を含み,広義の社会というのはこれらの諸科目の研究対象である経済,政治,法規範,狭義の社会等々多くの諸現象を包含している。
広義の社会から区別されたものとしての狭義の社会とは,冒頭に定義した複数の人びとの持続的な集りの,あらゆる種類のもの,あらゆる大きさのものを総称する。かくして小は恋人どうしの2人社会から,大は国民社会を経て世界社会にいたるまでのものが,社会である。狭義の社会は,個別社会科学の1科目としての社会学の研究対象である。しかし狭義の社会もまた,種類を異にするさまざまなものを含んでいるので,社会学者はそれらをいろいろに分類してきた。ここでは,広く用いられる基本的な分類軸だけを示そう。
その内部で人間の必要とするすべての生活上の欲求が充足される社会。その意味で自足的な社会である。その範囲は,未開社会ではごく小さく,文明社会になるほど拡大する。狩猟採取社会および園耕社会(初期の原始的な農耕)では部族社会tribal societyがこれに当たり,農業社会では農村共同体rural community,Agrargemeinschaftがこれに当たり,近代国民国家の成立以降では国民社会national societyがこれに当たり,そして現代ではそれがしだいに世界社会world societyに向かって拡大しつつある。
(1)地域社会 地縁によって形成される社会,すなわち地理上のテリトリーを共有する人びとから成る社会。マッキーバーがアソシエーションから区別してコミュニティと呼んだものがこれであって,農村と都市がその2大区分をなす。必ず一定の政治的に区分されたテリトリーと結びついていることを本質的特性としており,この点で次に述べる集団と区別される。前述の全体社会は,地域社会の中の最大のものに当たる。
(2)集団 地縁によらず,すなわち場所という要因に縛られずに(たとえば家族は自由に引っ越せるし,企業は自由に立地を選べる)形成されるすべての持続的な集り。これはさらに次の二つに分けられる。(a)基礎集団 血縁および婚姻関係によってつくられる家族および親族を基礎集団という。家族は親族の限定された一部を指すわけだから,親族kinship,Verwandtschaft,parentéによってこれを代表させてもよい。基礎集団と,町とか村のような地域社会とを合わせたものを,〈基礎社会〉と呼ぶ言い方もある。これは,親族と地域社会が人類の歴史とともに古く,狩猟採取社会から現代産業社会までを含めて,すべての社会に普遍的であることを言い表したものである。しかし家族の機能は,狩猟採取社会において家族がほとんど唯一の社会集団であった段階には全包括的なものだったのに対し,近代以降さまざまな機能集団が噴出するに及んで,しだいに縮小してきた。とりわけ,家族をこえる親族集団は,冠婚葬祭以外にはほとんど機能を失い,かつ頻繁な地域移動の影響を受け,急速に解体に向かいつつある。(b)機能集団 機能集団は目的集団ともいわれ,機能別ないし目的別に組織化された集団である。企業,政府・官庁,自治体,学校・研究所,宗教団体,スポーツ団体,その他きわめて多くの集団および組織(集団の中で目的達成に向かって組織化されている度合のとくに高いものを組織という)が,これに属する。近代以前の社会においては,機能集団は国家組織や宗教組織などに限られ,企業はまだ大部分家族と未分離であったので,ごく少なかった。機能集団の噴出は,近代社会における機能分化に対応するもので,近代化の最もいちじるしい特性の一つである。マッキーバーがコミュニティに対してアソシエーションと呼んだものは大部分ここにいう機能集団であったが,ただマッキーバーは近代家族を,分化した機能の一つを引き受けている集団と見立てて,これをもアソシエーションに含めた。この観点からは国家もアソシエーションの一つとみなされ,この見解が20世紀初頭における〈多元的国家論〉の主張の裏づけとなった。ただL.vonウィーゼのように,国家を集団と呼ぶのは適切でないとして,集団とは別のカテゴリーである〈抽象的集合体abstrakte Kollektiva〉というような名称をこれに当てた者もある。
人はなぜ社会をつくるか。この最も基本的な問に対する答として,従来いくつかの考え方が提示されてきた。西洋近代初頭の17世紀において社会科学の出発点をなしたホッブズとロックにあっては,この問題は次のように答えられた。
まずホッブズは,人間の自然状態を〈万人の万人に対する闘争〉の状態として想定し,このような状態のもとでは〈継続的な恐怖と,暴力による死の危険とが存し,人間の生活は,孤独で貧しく険悪で残忍でしかも短い〉ので,人間たちは相互に契約を結び,個々人に与えられた自然権の一部を主権者に譲渡したのである,と説明した。この譲渡によって,人びとは国家の主権に服しなければならなくなった点で自由を失ったが,それと引換えに秩序による身の安全の保証を得た。かくして自然状態は解消され,人間の社会状態が開始された(《リバイアサン》1651)。
次にロックは,ホッブズと異なって自然状態のもとで人間は平和であり,すべての個人が生まれながらにしてもっている自然権を尊重しあって生きていたとの想定に立つものであったが,そう考えた場合でも秩序を乱し他人の財産を盗んだり他人を殺したりする不心得者があらわれるので,これを公的な権力によって裁くことができるようにするために,自然権の譲渡を行って国家主権が成立した,と説明した。そのような公権力としての国家主権の形成された状態を,ロックは市民社会civil societyと呼んだ。市民社会の目的は生命の安全と私有財産の保全にある,とロックは考えた(《統治二論》1689)。
ホッブズとロックの理論は,近代市民社会の基礎づけを与えたものとして,すべての社会科学思想がそこから出てくる共通の源泉をなす。社会学にとってもこの点は同様である。それらは直接的には,国家権力の形成を説明しているのであって,社会そのものの形成を説明しているのではない。とくにロックの理論は,最初から人間の社会状態を仮定しているから,社会そのものはそこでは説明されていないといわねばならない。しかしホッブズの理論は,社会を契約によって説明したものとしても解釈することができる。ホッブズにおいては,社会と国家とはまったく重なっていて区別されえない。だからそれは,国家契約説であるとともに,また社会契約説であるともいえる。
社会契約説を社会の形成についての一つの説明と認めるにしても,その場合の契約というのは単なる説明上のフィクションたるにとどまる点が問題となる。なぜなら社会は人類の歴史とともに古いのであって,売買契約のようにどこかある時点で成立したものではないからである。そこで,このような概念的フィクションによるのでないもう少し科学的な説明が求められる。
ホッブズから2世紀ほどたって,近代啓蒙思想の系譜の中から19世紀半ばに社会学が一つの独立の学問として生まれ出て以来,この課題に答えようとするさまざまの試みがなされたが,それらは大きく分けて,人間は群居本能instinct of gregariousnessをもつといった説明と,人間は合理的判断の結果目的的に動機づけられて社会生活を求めるといった説明とのいずれかに帰着し,この両者が対立する傾向がみられた。マッキーバーは,このような〈本能〉説と〈合理〉説のあいだのはてしない論議は避けるのが賢明であるとして,両者の中間に〈意志された関係willed relations〉という概念を立てることを提案し,これによって社会の形成を説明しうるとした(《コミュニティ》1917)。高田保馬は,マッキーバーのこの説を受けてこれを〈望まれたる共存〉と表現し,共存の欲求というものを仮説した。高田は,この共存の欲求には2種類のものがあるとし,その一つは他者との結合それ自体を求める〈結合のための結合〉,もう一つは目的達成のための手段として他者との結合を求める〈利益のための結合〉であるとして,上記の両説をそれぞれ位置づけた(《社会学概論》初版1922,改訂版1950)。
現代の社会学説としては,T.パーソンズ,マートン,レビーMarion J.Levyらの機能理論functional theoryないし構造-機能理論structural-functional theoryが代表的である。これらの学説における考え方のだいたいの傾向は次のようなものである。すなわち,まず行為理論から出発して人間行為の目的を欲求充足need gratificationにあるとする。しかしながら人間は単独ではそれらの欲求を充足することができず,そこで他者を目的,手段,あるいは条件などとして,自己のあるいは他者との共同の欲求を充足するために社会システムをつくる。社会システムの機能は,個人からみれば最終的には個人行為者(パーソナリティ・システム)の欲求充足にあるが,しかしひとたび社会システムが形成されると,社会システムとパーソナリティ・システムは相互に独立のシステムとなり,両者はレベルを異にするので,社会システムはそれ自身の存続のために社会システム自体としての機能的要件functional requirementの充足を求めるようになる,というのである。この考え方の特徴は,社会が形成される理由をそれが果たす機能によって説明することにあると同時に,個人(パーソナリティ・システム)レベルと社会(社会システム)レベルとを独立させることによって,個人の観点からする目的論的説明を避けることにある,といえよう(パーソンズ《社会体系論》1951,その他)。
人間がなぜ社会をつくるかということについての機能的観点からする説明は,動物の社会についての研究からの示唆によって補強されうる。ミツバチやアリの社会はその全体が〈超個体〉と呼ばれるが,これは1匹ずつの個体が生殖と食物獲得の両方の能力を備えていないために自立できないことが,機能的に社会形成を要求する極端な例である。これと対照的に,ミツバチやアリ以外の多くの昆虫は,親が植物の葉の上に卵を生みつけると,あとは親の世話にならずにその葉を食べて自力で成長するので,社会をつくる機能的必要がない。だからそれらの昆虫は社会をつくらない。
脊椎動物以上では,子どもは親が世話をしないと自力では成長できないので,子どもが一人前になるまでの間,家族形成が行われる。すなわち,哺乳類では親が子どもに乳を与えなければならないし,鳥類では親が卵をあたためなければならないだけでなく,ひなになってからは餌をとってきてやらなければならない。これらの機能的必要から彼らは家族をつくり,そして子どもが成長して自立できるようになるや否や,ある日突然にその家族は解体する。すなわち,社会形成はその機能によって説明されうるのである。
人間の子どもは他の動物に類例をみないほど長期間にわたって無力であり,そのことが人間社会における家族の永続的普遍性の理由を説明する。また人間の欲求は他の動物に類例をみないほど高度であるため,食物さえ単独では調達できず,人間の欲求充足の中で自力でなしうるのは呼吸と排便と睡眠その他,ほんのわずかなものに限られる。そしてこの単独個人の無力さは,文明の発達がすすめばすすむほど進行するのである。なぜなら,産業文明の高度化とは社会構造的には社会分化,すなわち分業の進展を意味し,分業の進展とは個人が部品化していくことにほかならないからである。こうして,人間と他の動物を含めて,社会形成は欲求の性質から機能的に説明可能である,ということができる。
執筆者:富永 健一
生物に社会を認めることに対して擬人主義であるとの批判がかつてはあったが,今日,少なくとも動物の社会という表現は一般に公認されている(その間の歴史については〈動物社会学〉の項目を参照されたい)。以下に動物の社会について論じるが,植物の社会については〈植物群落〉の項目で扱う。
社会的現象というとき,集合現象のみが注目されがちであるが,離散も集合と同様に種社会維持のための重要な役割を果たす。たとえば,母系的な単位集団をもつニホンザルの社会では,雄は性成熟前後に出自集団を離れ,放浪ののち他集団に加入する。したがってニホンザルの種社会は,互いに社会的距離をおいて分散対立する単位集団と,その空隙(くうげき)を彷徨(ほうこう)する雄の単独行動者によって模式化することができる。しかし,このような集団を形成せず,単独行動者のみからなる種社会も少なくなく,このような例では,交尾期における出会いと,雌にまかされる育児期だけが社会的交渉をもつ期間となる。夜行性の原猿類,食虫類,食肉類などの多くがこのような社会をもっている。無脊椎動物や下等な脊椎動物では,交尾期における雌雄の社会的交渉があるだけで育児期を欠くものが少なくない。昆虫類,魚類,両生類,爬虫類などは,産卵によって親の代の務めを終わり,あとは子の世代の自力の孵化(ふか)と成長にゆだねる。しかし,社会性昆虫,巣をつくって雌雄で子を育てるトゲウオ,口の中に子を入れて保護するマウス・ブリーダーといわれるシクリッド科の魚など例外的な存在もある。このような生活における世代の重なりあいは,生得的な能力に加えて学習を可能とする機会を与えるがゆえに重要な意味をもつが,本格的な学習は哺乳類にいたって認められる。社会性昆虫の一つのコロニーには,女王,王,ワーカー(働きアリ,働きバチ),兵などの形態と機能を異にするいくつかの階級によって構成され,繁殖,労働,防衛などの分業的体制によってコロニーを運営するものがあり,今西錦司はこの全体を超個体的個体と呼んだ。
社会の発達を論ずるにあたって重要な目安となるのは,個体間に相互認知があるか否かという点である。社会性昆虫の中には,女王の分泌物を同じコロニーの構成員が分有することによって相互に認知しあっているものがあるが,アシナガバチのように個体間に優劣があり,より高度な認知能力を示すものもある。しかし哺乳類以外の脊椎動物と無脊椎動物には個体相互間の認知がないものが多く,これらの集合を無名の群れanonymous groupと呼ぶ。このような集合はまた,一般に群集crowdと呼ばれるが,その中では成員の交換が可能であり,その構成はたえず変化している。繁殖期には,相互認知にもとづくつがいをつくっている鳥類も,渡りの時期には無名の大集団をつくることがあるし,季節移動を行うウシカモシカやハーティビーストの大集団も相互認知に支えられているわけではない。
個体の相互認知のために重要な働きを果たすのは,血縁と優劣である。安定した単位集団をもつ霊長類では,母子の認知は終生失われることはない。また長期観察の結果から,兄弟姉妹等の血縁関係もなんらかの形で認知されていることが明らかにされている。また,個体間の安定した優位劣位関係dominance and subordinance relationshipも,自他のアイデンティティの規準を与え,同じ集団内で共存するための重要な絆(きずな)となる。また,これらの絆によって結ばれていない個体相互の間には,さまざまな形での敵対的な関係が認められる。単独行動者の社会では個体のなわばりが,集団間には集団のなわばりが認められる場合が多い。このように,ある空間の占有を自他ともに認めあうことによって,すみわけて共存する社会的機制をなわばり制territorialityという。しかし集団間にも優劣が認められることがあり,そのような場合には力に応じた空間的な広さによって均衡をとり,あるいは優位集団の接近を劣位集団が避けることによって衝突を避ける。
霊長類は,きわめて原始的な種社会から,高度な発達を遂げたものまでを含み,これらを系統的に追うことによって,社会の進化の道すじをたどることができる。その最も原始的な社会は,ロリス,アイアイ,コビトキツネザルなどの夜行性の単独行動者の社会に見ることができる。霊長類は,夜行性から昼行性へと進化したが,昼行性になったものはすべて安定した単位集団をもつようになっている。霊長類の単位集団は両性からなり,特定の要素(個体)を放出し,かつ外部から受容する半閉鎖的な構造をもっている。集団の構成には,単雄単雌,単雄複雌,複雄複雌の3型が認められるが,集団の維持機構からすると後2者はさらに各2型に分けられる。単雄単雌の集団は,霊長類における最も原型的な構造と考えられ,夜行性の原猿メガネザル,アバヒ,昼行性の原猿インドリ,シファカ,真猿のキヌザル,ヨザル,ティティ,サキ,そして類人猿のテナガザルなどがこの型の集団をもっている。子どもは両性とも性成熟までに出自集団を離れ,またいかなる個体も外部からの移入を許さないことによって,この集団のペアの構成は維持される。残る4型中,単雄複雌と複雄複雌の各1型は母系の集団で,雄だけが集団間を移籍する。この単雄複雌の型は,オナガザル類の約半数に見られるが,複雄複雌の型はキツネザル,ホエザル,クモザル,そしてオナガザル類の残る半数に見られる。あとの2型は,雌が出自集団を出て他集団に加入する点で母系の集団とは異なっており,その単雄複雌の構成をもつものがゴリラで,この社会では雄も性成熟前後に出自集団を離脱するが,外部からの雄の移入はない。したがって,離脱した雄はそれぞれ雌と結びついて新しい単位集団を形成する。チンパンジーとピグミーチンパンジーの集団は複雄複雌の構成をもち,雌は集団間で交換されるが,雄は出自集団にとどまり,父系の集団を形成する。以上の諸型の集団の維持機構は,近親婚の回避と深く結びついている。ヒトを除く霊長類社会には,人間社会に見られるような家族の形成は見られない。特定の雌雄の恒常的な結合,性による分業,集団間の対立の解消,そして言語や社会制度の発生などと深く結びついているに違いない家族の起源の解明は,直立二足歩行の起源と並んで古来人類学上の難問とされている。複雄複雌のオナガザル類の集団は,順位秩序によって貫かれた集団,換言すれば不平等原理によって支えられた集団であった。ところが同じような構成の集団をもつチンパンジーやピグミーチンパンジーの社会では,平等原則にもとづく社会的交渉が多く見られるようになる。多彩な挨拶の行動,とくにピグミーチンパンジーの社会では性器を用いての頻繁な宥和(ゆうわ)行動が目だつようになり,また食物の分配は集団内の個体間の新しい共存のあり方を示唆するものだといってよいであろう。チンパンジーを用いた実験心理学的な研究は,高度な言語的機能の存在を実証しているが,このような心理的能力の進化に伴って社会の内容にも変化が見られるのである。日本の研究者は,ニホンザルの群れ間に食物や採食行動などの相違が認められ,これらの行動はそれぞれの群れで伝承されていることを明らかにして,それをカルチャーcultureと呼んだ。同様の現象は,チンパンジーの社会により高度な形で見られた。それは,アリやシロアリを釣って食べる道具にも見られたし,ある地域集団の個体は堅果を石で割って食べるといった行動を見せたのである。以上,主として種内社会について見てきたが,系統的に近縁な異なる種社会間にはすみわけの現象が見られ,また,生活様式を同じくする異種間で混群mixed groupを形成するといった現象も,森林性のオナガザル類や,秋冬季のカラ類などに認められている。異種間の社会関係の中で特異なものとしては,共生と寄生をあげることができ,また捕食者と被捕食者の関係には食物連鎖という形でとらえうる生態学的な秩序系もある。
→順位 →なわばり →群れ
執筆者:伊谷 純一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社会ということばは訳語であって、原語は結合、交際、寄り合い、仲間、社交などの意味をもち、共同の集会の場における諸個人相互間の交流(コミュニケーション)という集合行為を示すことばである。そして、この集合行為が一群の人々の間で繰り返され、安定し固定していくと、社交界とか上流社会そのほか地域や職域における人々の間柄、社会関係または集団を形成することになる。したがって、社会というヨーロッパ起源のことばは、一群の人々がある共通の目的のために互いに自由な主体として対等の立場で相会し、共同の行為に参加する(団結、結社)という事態を意味していた。これとほぼ似通った「社会」の用例は、中国の古い文献にも出ており、「郷民為社会 為立科条」という表現が『近思録』(1176)にみられる。この場合には、社会とは、土地の神を祀(まつ)るために地域の共通の祭祀(さいし)の場に集合した人々、ひいては地域集団をさすものであったが、一定の土地とそこに住む人々との情的・社会的結合が強調されたため、地域的閉鎖性を乗り越えるには至らなかった。
この地域的狭隘(きょうあい)さを乗り越えて人々が一定目的のために対等の立場で交流するという事態が成立するのは、狭い共同体的諸関係が解体し、人類大の規模で広がる市民社会が形成されて以後のことである。それゆえ、明治維新以後に社会(ソサエティ)という原語がわが国に導入されたときも、市民社会が確立していなかったためもあって、国民感情になじまず、仲間、社交、交際、会社、社中、世態などの語があてられていた。1875年(明治8)に福地源一郎(桜痴(おうち))によって社会という語が初めて用いられはしたものの、社会という語が訳語として定着するにはかなりの時間を要し、絶対主義体制のもとでは日本の国情にそぐわないもの、ときには外来の危険思想を連想させるものとして冷遇された。
それはともかく、社会(科)学の用語としての社会には、次のようないろいろの意味がある。(1)人間の結合・関係、生活の共同一般といった抽象的な意味、(2)身の周りの家族や地域・職場の集団などの具体的な集団、(3)日本の社会などというように、それらを包括した全体社会(国民社会)、(4)歴史的には封建社会とか資本主義社会というように一定の発展段階にある社会体制または社会構成体、(5)理念的には近代以後市民層によって担われ、国家という狭い地域的限界を超え、これに対立して展開する、人類大の広がりをもった市民社会、などである。
[濱嶋 朗]
普遍的人間結合・盟約関係(団結、結社)という意味での社会、とくにその人類大の広がり尽くした分業・交通の世界としての市民社会という概念の発見は、いうまでもなく絶対主義的国家体制やその基底にある後れた共同体的諸関係の解体以後のことに属する。近代的な意味での社会概念は、市民層によって担われた一連の政治的、経済的、精神的変革の過程でしだいに鮮明な姿を現すことになる。その端的な現れは、近代自然法思想における社会概念であるが、そこでは自由で自律的な諸個人の間の契約関係(したがって目的的な社会結合)が想定されていた。ホッブズ、ロック、ルソーらの見解はかならずしも同じではないが、自由で平等な諸個人の自然権の発動によるほしいままな幸福追求が「万人の万人に対する戦い」をもたらすという矛盾を克服し解決するために社会契約を結び、この合意に基づいて公権力(ひいては規則)への自発的服従と、より自由な諸個人の連合体の形成を目ざす、という発想の点では、ある程度共通するものをもつ。
自然法思想または社会契約説にみられる人間相互の自由な契約関係は、市民社会の理念の原像であったが、そこには、人間と社会との間の、したがって個人の福祉追求(欲求充足)と社会の秩序維持との間の対立と依存という逆説的な問題が提起されており、その点でそれは社会の発見とよばれるにふさわしいものであった。この個人と社会、私的利益と公共の福祉との間の対立は、イギリスの経験的社会論や功利主義者たちによって表向きは解決され、両者は調和し両立しうるものとみなされた。自由競争におけるフェアプレーと神の「見えない手」による私益と公益の一致ないしは予定調和(A・スミス)、「最大多数の最大幸福」(ベンサム)などといった考えがそれである。
しかし、個人と社会、私益と公益との間に予定調和をみる見解に対して、ドイツ観念論哲学においては、私的な利益を中心に形成される市民社会の積極面よりも消極面に力点が置かれる。たとえばヘーゲルの場合、市民社会とは利己的諸個人が群がる欲望の体系にほかならず、諸個人はただその欲望(私的利益)の追求過程で互いに他を必要とし社会を形づくるにすぎないものとみた。彼にとって、市民社会はいわば人倫の欠如態であり、人倫の完成態としての国家によって克服されるべきものなのであった。社会(市民社会)に対する国家の優位を主張し、国家の手によって社会の矛盾を解消しようとする立場は、自律的人間(市民)の自由な活動を抑圧して、国家=社会という全体の秩序のもとに有機的に編入し、統合しようとする方向を示すものでもあった。
このような、社会観における二つの見解の対立は、同時にイデオロギー上の対立を伴う。自然法理論や社会契約説は自由主義または個人主義に立脚し、ドイツ観念論哲学(ヘーゲル)の流れをくむ社会観は、どちらかといえば全体主義につながる考え方であった。前者の立場は、社会を諸個人の活動の落とした影にすぎないとする社会名目論の立場に通じ、後者の立場は、社会を目して、個人を超え、その外部に存在する全体とみ、個人は全体の一部分としてのみ意味をもつとする社会実在論の立場に通じあう。
[濱嶋 朗]
この社会名目論と社会実在論との対立は、個人(部分)が先か社会(全体)が先かという見解の対立にほかならないが、社会学の歴史を通観するとき、個人と社会との関係の把握をめぐってこの種の対立が社会学における社会のとらえ方を彩ってきたといえるほどである。それというのも、個人と社会との関係をどう考えるかということが、社会学の根本問題をなしているからであろう。初期の社会学(コント、スペンサーらに代表される総合社会学)は、社会を生物有機体になぞらえ、それ自身独自の生命をもった生きた全体、それを構成する各部分・各要素に分解し還元することができない実体であるとした。つまり、個人の離合集散を超えて存続し、成員の変転消滅にもかかわらず生き長らえる超個人的実体として社会をとらえる立場であるが、これは普通、社会有機体説とよばれる。この社会有機体説的発想はのちにデュルケームに受け継がれ、個人の外部にあってこれに対立し、拘束力を及ぼす「行為の、思惟(しい)の、感得の様式」または集合表象こそは社会の本質をなすものとされた(ただし彼の場合、個人の活動の分化・個性化と社会の活動の活発化・統合化が同時併行的・相互補完的に行われる事実に注目しているのではあるが)。
デュルケームの強い影響を受けたラドクリフ・ブラウンは、社会がなんらかのまとまりをもつのはそれを構成する諸要素が有機的、機能的な関連にたって全体の均衡と統一性を維持するからであるとして、機能的社会観を提示した。この機能主義の立場はパーソンズに受け継がれ、構造機能主義あるいは社会システム論の展開をみることになる。彼は社会構造の中核を価値およびその外在化としての規範や制度に認め、個人の外部から拘束力を及ぼす共通の価値規準や標準的行為様式がコミュニケーションや社会化の過程を通じて個人のうちに内面化され、個人は規範的要求や社会的期待に沿って同調行動に出るように水路づけられるものとみた。このように、パーソンズにおける人間は、共通の価値、規範、制度に規定されて社会のなかに統合される社会化された人間なのであり、この立場は個人よりも社会(価値、規範、制度)にウェイトを置く規範パラダイムとよばれている。
以上のような、社会を個人に優先させ、それをなにほどか実体化する見地(社会実在論またはそれに近い立場)に対し、社会を形成し変革する主体としての個人に着目し、個人を社会に優先させて、社会は個人の活動の所産にすぎないとする見地(社会名目論またはそれに近い立場)が他方の極に存在し、つねに前者と対立してきた。前にあげた自然法理論や社会契約説は、旧制度からの人間の解放を目ざすブルジョアジーのイデオロギーであったが、総合社会学の社会有機体説に対しては、形式社会学の社会観・人間観が社会名目論の立場からする批判を代表するものであった。それによると、社会は個人を超え、個人の外部にある完結した実体ではなく、人々の間の心的相互作用に基づいて成立する動的、相対的な統一であるにすぎない。行為の主体としての人間が相互に働きかけ、行為を交換するところに社会は成立する。人間は社会によって形成されながら、逆に社会に働きかけ社会を形成していく、とみるわけである。個人と社会をともに完結した実体とみなさない点で、これは原子的個人だけを実体化して、これを究極の実在とみなし、社会を単なる虚構にすぎないとする社会名目論とは若干異なるが、どちらかといえば個人優先の考え方である。
これと関連して、フッサールの現象学的方法によって形式社会学を批判したシェラー、リットらは、個人と社会は不可分に浸透しており、社会は個人のなかに、個人は社会のなかに表現されるとして、「視界の相互性」を社会の本質と考えた。また、パーソンズの提起した規範パラダイムに対しては、人間の社会性と同時に主体性を強調するクーリーやG・H・ミードの流れをくむシンボリック相互作用論やエスノメソドロジーなどのいわゆる現象学的社会学の解釈パラダイムが対立する。この解釈パラダイムによれば、人間は社会の単なる所産でもロボットでもなく、自己意識をもった存在であり、他者を含む状況に対しつねに意味を付与し、解釈し、それを再構成しつつ主体的に行為する。この解釈過程を通じて、人間は初めて主体性を獲得し、他者と積極的にかかわり、社会を形成する、というわけである。いずれにせよ、人間は孤立的個人でも抽象的個体でもなく、つねに関係性における存在であり、相互授受という互酬性reciprocityの原則のもとで行動し、社会を形成する。そこに人間の社会性と主体性の相即があり、また個人と社会の相即関係がある。社会とはそのような視界の相互性として考えることができる。そのような社会は一定の構造をもち、一定の方向へと変動する。
[濱嶋 朗]
『F・テンニエス著、杉之原寿一訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』全2冊(岩波文庫)』▽『G・ジンメル著、阿閉吉男訳『社会学の根本問題』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『T・パーソンズ著、佐藤勉訳『現代社会学大系14 社会体系論』(1974・青木書店)』
生物学では同種の生物の個体およびその相互関係のすべてを含んだまとまりのことをいう。その空間的な広がりについては、個体どうしが相互に関係しあう特定の場所についていうこともあるし、種の分布域のすべてをさすこともある。後者の場合には、とくに種社会(スペシアspecia)といわれることもある。いかなる生物の個体も、同種の他個体と特有の関係をなして生活することから、すべての生物種に認めることが普通である。ただし動物では種によって個体の組織される程度が違うことから、とくに個体間の誘引に基づく集団や、個体どうしが互いに協力しあう集団だけを社会的集団とみなす考え方もある。また、すべての生物は他種生物とかかわり合って生活していることから、他種生物をも含めて「生物社会」という用語を使うこともある。とくに植物社会学では、すべての植物は互いに限られた資源を分け合ったり競争したりして共存していると考え、ある環境下で相互に関連しあって存続する生物集団を「生物社会」もしくは「生物共同体」として規定している。
社会には、それぞれ独自の空間構造と季節周期がある。動物でみられる縄張り(テリトリー)や群れ、植物でみられる群落などは、古くから知られた空間構造の例である。また、社会のあり方は、季節の違いによって一定の変化のパターンを示すことが普通であり、とくに繁殖期には集団の構成や相互関係に大きな変化がみられる場合がある。個体間の関係には、光、養分、空間や食物などを取り合う形のもの、愛撫(あいぶ)したり攻撃したりするような行動を介したもの、さらにはサルが順位の高い個体に心理的圧迫を感じるような心理的なものなどがある。社会を構成する個体は、互いに協力したり共同生活することもある反面、よく似た生活要求をもつことから敵対したり競争することも多い。社会は、ときに個体や集団の対立や環境の変動によって大きく変化したり崩壊することもあるが、普通は安定的である。
[片野 修]
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…学問分野によって学会の性格が異なるのは当然であるが,個々の学会は,その設立の経緯,規模,組織形態,機能など千差万別である。たとえば,英語で学会を表すのにacademy,society,association,instituteなど多くの語が用いられることも,学会の多様性の反映とみることができる。しかし,一応の目安として学会が具備すべき基準・条件としては次の五つが考えられる。…
…一般的には中・近世ヨーロッパにおける商工業者の職種ごとの仲間団体をさすが,このような同職仲間的な団体は,広く前近代の日本,中国,イスラム社会,インドにもみられる。ドイツ語ではギルドGilde,ツンフトZunft,インヌングInnung,フランス語ではコンパニオナージュcompagnonnage,イタリア語ではアルテarteとよばれる。…
…その他正宗敦夫《万葉集総索引》(1929‐31),吉沢義則・木之下正雄《対校源氏物語用語索引》(1952),池田亀鑑《源氏物語大成索引編》(1953‐56)のほか,《古事記》《日本書紀》《竹取物語》《宇津保物語》《紫式部日記》《更級(さらしな)日記》《栄華物語》《今昔物語集》《平家物語》《徒然草(つれづれぐさ)》などの索引が刊行されている。 類書には《古事類苑》(1889‐1914成立),物集高見《広文庫》(1916)があり,ヨーロッパ式の百科事典には,田口卯吉編《日本社会事彙》(1888‐90),三省堂編《日本百科大辞典》(1908‐19),平凡社編《大百科事典》(1931‐35)などがあり,ほかに日本文学,国語教育,国史,仏教,民俗学などの辞典も数多い。なお対訳辞書ではヘボン編《和英語林集成》(1867)などがなかでも古いものである。…
…先秦には国家の太社,王社のほかに,諸侯の国社,侯社もあったが,漢代には滅び,代わって行政区画の県,郷,里にそれぞれ社が置かれ,里社の下には5家,10家といった小さな私社もあった。こうした郷村の社は,その後の社会変動にかかわりなく,ながく存続した。社の最大の行事である春秋二社のときには,村民はこぞって祭りの場所に集まり,祭祀が終わると,一同はお下がりの社飯酒肉を会食して旧交をあたため,ときには余興に歌舞演劇が行われた。…
…社会科学とは,自然に対比された意味での社会についての科学的な認識活動,およびその産物としての知識の体系をいう。この定義で中枢的位置を占めているものは〈社会〉という語および〈科学〉という語の二つであるから,以下これらについて注釈を加えよう。…
…集団による儀礼行動の一つ。本来は原始・古代宗教の集団儀礼を総称し,現代では文化的に一般化されて,祝賀的な社会行事を呼称するのによく使われる言葉となっている。日本の祭りは伝統文化として重要であり,神社神道では今でも祭りを中心にしているほどだが,世界の宗教文化史上にも注目すべき社会現象である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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