永沼村(読み)ながぬまむら

日本歴史地名大系 「永沼村」の解説

永沼村
ながぬまむら

[現在地名]庄和町永沼

下柳しもやなぎ村の南、庄内古しようないふる川左岸に立地する。寛永年間(一六二四―四四)開墾と伝え(郡村誌)、慶安三年(一六五〇)検地により永沼新田、延宝三年(一六七五)の検地では永沼村と称した(慶安三年・延宝三年「検地帳」増田家文書、いずれも一部が残存するのみ)元禄郷帳に村名がみえ、高一千五一石余。開墾当初は幕府領であったが、のち旗本武島・久野・能勢(二氏)高田・三宅六氏の相給となり(うち久野・能勢・三宅の三氏は、「寛政重修諸家譜」によれば一時常陸に知行替されている)知行高は各一七五石余で(「永沼村上知別田畑高反別書上」増田家文書)、田方一二町余・屋敷畑一一八町一反余で、ほかに大縄田三反余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 検地帳 知行

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む