高田(読み)タカタ

デジタル大辞泉 「高田」の意味・読み・例文・類語

たかた【高田】

姓氏の一。
[補説]「高田」姓の人物
高田早苗たかたさなえ
高田博厚たかたひろあつ
高田実たかたみのる
高田保馬たかたやすま

たかだ【高田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「高田」姓の人物
高田与清たかだともきよ

たかだ【高田】[地名]

新潟県南西部、上越市の中心地区。江戸時代松平氏榊原氏城下町豪雪地帯で、日本のスキー発祥の地。旧高田市。

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精選版 日本国語大辞典 「高田」の意味・読み・例文・類語

たか‐だ【高田】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 土地の高いところにつくられた田。古くは「あげた」とも称した。→上田(あげた)下田(くぼた)
    1. [初出の実例]「其(そ)の兄高田(タカタ)を作らば汝の命は下田(しもた)を営みたまへ」(出典:古事記(712)上(兼永本訓))
  2. [ 2 ] 新潟県上越市の地名。旧高田市。荒川の下流域にある。古くから北陸街道北国街道の分岐点。中世、上杉氏が春日山に築城。江戸初期、松平氏六〇万石の城下町となり、江戸中期以後は榊原氏一五万石の城下町となる。第二次世界大戦前は軍都として栄えた。「雪の都」といわれ、日本スキーの発祥地としても知られる。明治四四年(一九一一)市制。昭和四六年(一九七一)直江津市と合体して上越市となる。

たかた【高田】

  1. [ 一 ] 広島県中北部にあった旧郡。安芸高田市を中心とする地域。
  2. [ 二 ] 武蔵国豊島郡の村名。現在の東京都新宿区戸塚町から豊島区高田、目白にかけての一帯にあたる。

たかだ【高田】

  1. ( 「たかた」とも ) 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「高田」の意味・わかりやすい解説

高田 (たかだ)

新潟県南西部,平成の大合併以前の上越市南部を占めていたかつての市名。高田市は1911年市制,71年直江津市と合体して上越市となったが,現在の行政地名にはない。17世紀初め,松平忠輝の築城に始まり,以後激しい城主の交替を経て,榊原氏の城下町として幕末に至った。1889年町制,1907年城跡に第13師団が設置されるなど,第2次世界大戦終戦まで軍都として発展した。城下町時代から上越地方の商業,政治,文化の中心地的な役割を果たし,現在も県の出先機関が集中している。工業はスキー板,農業機械,細幅織物業などの地場産業のほか,電子,食品,家具装備品などの工業がある。現在,城跡とその周辺は文教地区で,桜の名所の城址公園,博物館,体育館などの公共施設が集中し,旧士族屋敷は住宅地,町人町は商店街に発展した。豪雪地帯として知られ(最大積雪377cm,1945年2月26日),消雪道路が普及した現在も,雪国独特の雁木(がんぎ)が減少はしているものの古い町すじに連なる。金谷(かなや)山はオーストリアのレルヒ少佐が伝えた日本のスキー発祥地である。旧市域北西部の春日山には上杉謙信の築いた春日山城跡(史)があり,山腹には謙信をまつる春日神社がある。郵便の父,前島密は当地の出身で,記念館がある。
執筆者:

近世に城下町であった高田は,中世以前は関の庄菩提が原とよばれた。上杉氏の春日山城に代わって堀氏は福島城(直江津)を築いたが,1610年(慶長15)改易となり,徳川家康の六男松平忠輝が城主となった。忠輝は14年幕府に願い,菩提が原に城を築き高田を開府した。高田城は将軍連枝の居城として,名古屋城にも劣らぬように,国役普請により,伊達政宗以下13諸侯に命じて,3月15日起工し7月第一期工事の竣工をみて入城した。しかし10月大坂冬の陣がおこり工事を中止した。忠輝は16年(元和2)改易となった。そのあと酒井氏,松平氏(越前家2家),稲葉氏,戸田氏,松平(久松)氏,榊原氏と7氏が相ついで城主となり,明治の廃藩に至った。この間,名門譜代藩といっても在封期間が短く,また榊原氏は在封130年続いたが,藩財政に苦しみ城下町の発展は考えられなかった。ただ松平光長は,執政小栗美作らの殖産興業によって藩庫を潤し,築城を完成,城下町の区画整理を断行し,全盛をきわめた。しかし1681年(天和1)越後騒動のため改易となり,町はさびれた。歴代藩主は地子銭を免除したが,産業もなく町が発展しなかった。明治に入り広大な城跡を利用して師団誘致に成功,1907年第13師団が設置された。
上越[市]
執筆者:


高田(福岡) (たかた)

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日本歴史地名大系 「高田」の解説

高田
たかだ

中世にひら(神田川)の中流域にあたる現新宿区高田・早稲田・落合おちあい地区や豊島区高田地区・中野区上高田かみたかだ地区などの一帯をさしたと推定される地名。「たかた」ともいう。北条氏所領役帳によると、江戸衆の赤沢千寿が「江戸高田内」で一五貫文を知行している(ただし千寿は成人前で、赤沢後家付)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高田」の意味・わかりやすい解説

高田(新潟県)
たかだ

新潟県南西部、上越市(じょうえつし)の一部をなす旧行政中心都市。1614年(慶長19)徳川家康の六男松平忠輝(ただてる)がこの地に配され、高田藩の城下町として栄えた。1907年(明治40)第13師団司令部が置かれて軍都となり、1911年上越地区の行政府として県下第三位の市制が敷かれた。第二次世界大戦後は近郊8か村が合併され、城跡に自衛隊や総合グラウンド、博物館などが置かれ、お堀端には数千本のサクラが植えられ市民の憩いの場になっている。また、市街東の上新バイパスや周りの新住宅地以外は旧城下町形態がそのまま保存されている模式的城下町で、「森の都」とよばれている。駅前の商店街は、北国街道(ほっこくかいどう)と北陸街道の分岐点にあたる。大手門前は町人町で、駅裏は寺町通りになっており、寺院が多い。北東の関川べりは河岸場(かしば)町で、今町湊(いままちみなと)(直江津)との舟運が盛んであった。スキー用品、農機具、細幅織物、家具などが生産され、豪雪地帯特有の雁木(がんぎ)の町で知られる。南波(なんば)丘陵麓(ろく)の金谷(かなや)山はオーストリアの軍人レルヒTheodor von Lerch(1869―1945)が伝えたわが国スキーの発祥地で記念館があり銅像も立っている。

[山崎久雄]

『『高田市史』(1914・高田市)』


高田(福岡県)
たかた

福岡県南西部、三池郡(みいけぐん)にあった旧町名(高田町(まち))。現在はみやま市の南部を占める。旧高田町は1958年(昭和33)町制施行。2007年(平成19)山門(やまと)郡瀬高(せたか)、山川(やまかわ)の2町と合併、市制施行してみやま市となった。旧高田町域は矢部川(やべがわ)河口に位置し、東部には古生層の丘陵性山地が起伏するが、西部には広い沖積低地が開け、有明海(ありあけかい)沿岸には干拓地が広がる。JR鹿児島本線と西日本鉄道天神大牟田(おおむた)線および国道208号が南北に並走し、209号を分岐する。主産業は稲作を中心とした農業で、ナス、トマト、イチゴなどのハウス栽培やミカン、スモモ栽培も盛んであり、有明海ではノリの養殖が行われている。1958年に日鉄鉱業によって開発された有明炭鉱は、一時中断されたが、1973年に三井鉱山によって再開、1997年(平成9)まで操業した。上楠田(かみくすだ)に国指定史跡の石神山古墳(せきじんさんこふん)があり、宝満(ほうまん)神社奉納能楽は県指定の無形民俗文化財である。

[石黒正紀]

『龍富太郎・永井新編『高田町誌』(1958・高田町)』


高田(栃木県)
たかだ

栃木県南東部、真岡市(もおかし)南部にある地区。小貝川の右岸に位置する。高田山専修寺(たかださんせんじゅじ)があり、寺を中心に集落が形成されている。寺は鎌倉時代に親鸞(しんらん)聖人によって建立され、境内は国の指定史跡、総門、御影堂などは国指定重要文化財であり、8月1日夜から2日朝にかけての夜祭には、地元だけでなく周辺地区からも大ぜいの人が集まる。

[村上雅康]


高田(奈良県)
たかだ

奈良県大和高田(やまとたかだ)市の中心地区。旧北葛城(きたかつらぎ)郡高田町。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「高田」の意味・わかりやすい解説

高田【たかだ】

新潟県上越市の一地区。1911年市制の旧高田市で,1971年直江津市と合体,上越市となった。高田平野の中部から西頸城(にしくびき)丘陵にまたがる。荒川左岸の中心市街は松平氏,のち榊原氏の城下町として発達,城下町の遺構を残す。明治以後は軍都でもあった。家具,農機具,織物,スキーなどを産し,えちごトキめき鉄道が通じ,バス交通の中心。豪雪地で町並みには雁木(がんぎ)がみられ,西の金谷山は日本のスキー発祥地。前島密の記念館,上杉謙信の春日(かすが)山城跡(史跡)などがある。
→関連項目高田藩

高田[町]【たかた】

福岡県南部,三池郡の旧町。鹿児島本線,西鉄天神大牟田線が通じる。ミカン,麦,蔬菜を産し,有明海沿岸では干拓地を中心に米作とノリ養殖が盛ん。有明炭鉱は1968年開発中止となったが,石炭の見直しにより1975年出炭再開。その後廃鉱した。2007年1月,山門郡瀬高町,山川町と合併し,みやま市となる。41.01km2。1万4219人(2005)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高田」の意味・わかりやすい解説

高田
たかた

福岡県南部,みやま市南部の旧町域。大牟田市の北に接する。 1958年町制。 2007年瀬高町,山川町と合体して,みやま市となった。東部の丘陵性の山地,西部の矢部川沖積地および有明海沿岸の広い干拓地からなる。農業が主で,米のほかミカン,野菜を産し,ノリ養殖も行なわれる。石神山古墳 (せきじんざんこふん。国指定史跡) ,二川焼窯跡などがあり,有明海は潮干狩りでにぎわう。

高田
たかだ

新潟県南西部,高田平野中部,上越市の中心市街地南部の一地区。旧市名。 1971年直江津市と合体して上越市となる。江戸時代は初め松平氏 60万石,中期以後榊原氏 15万石の城下町として発展し,第2次世界大戦中は軍都として繁栄。現在は高田平野の中心地で,商工業が盛ん。特に細幅織物,農機具,スキーの製造は有名。高田城跡,浄興寺がある。西方の金谷山は日本のスキー発祥地として知られる。

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普及版 字通 「高田」の読み・字形・画数・意味

【高田】こうでん

肥田。

字通「高」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の高田の言及

【越後国】より

…10年,堀氏のあと家康の第10子松平忠輝が入封,ここに徳川氏の支配が始まる。幕府は14年東北13大名に高田城を築かせ,北国の固めとして忠輝をここに入れたが,16年(元和2)忠輝の行状に不遜なものがあるとして改易,その遺領を幕領および高田,長嶺,藤井,長岡,三条の5藩に分かち,ここに小藩分立時代が到来した。その後,廃藩と削封と新藩設置の中で幕領が拡大し,幕末には1奉行所(新潟),3代官所(水原,出雲崎,川浦),5大名(桑名,会津,米沢,新発田,高田藩)預地の幕領と7旗本領,11藩および国外大名(一橋家と桑名,会津,高崎,出羽上之山,沼津の5藩)飛地領に分かれた。…

【上越[市]】より

…新潟県南西部,荒川(関川)下流部に位置して高田平野の北半を占める市。1971年高田市(1911市制)と直江津市(1954市制)が合体して成立した。…

【新潟[県]】より


[沿革]
 県域はかつての越後・佐渡両国全域にあたる。江戸時代末期,越後には高田藩,新発田(しばた)藩,長岡藩をはじめ,三根山,村上,村松,椎谷,与板,糸魚川(いといがわ),黒川,三日市の11藩が置かれていたほか,新潟をはじめとする天領,預地,旗本領飛地が入り組んでおり,金山のあった佐渡は天領であった。1868年(明治1)越後の旧天領を管轄するため新潟裁判所が置かれ,まもなく越後府,新潟府と改称して北部を,新設された柏崎県が南部を管轄した。…

※「高田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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