永田良吉(読み)ナガタ リョウキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「永田良吉」の解説

永田 良吉
ナガタ リョウキチ


肩書
衆院議員(自由党)

生年月日
明治19年9月

出身地
鹿児島県

学歴
鹿児島県立加治木中学校卒

経歴
農業の傍ら大隈鉱山を経営する。鹿児島県議、鹿屋市長を務め、昭和3年から衆院議員に当選8回。第31回列国議会同盟会議(ブリュッセル)、第20回万国議院商事会議(ロンドン)に参列する。また鹿児島県養蚕連合組合長、帝国飛行協会評議員などを務めた。

没年月日
昭和46年5月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「永田良吉」の解説

永田 良吉
ナガタ リョウキチ

大正・昭和期の政治家 衆院議員(自由党)。



生年
明治19(1886)年9月

没年
昭和46(1971)年5月11日

出身地
鹿児島県

学歴〔年〕
鹿児島県立加治木中学校卒

経歴
農業の傍ら大隈鉱山を経営する。鹿児島県議、鹿屋市長を務め、昭和3年から衆院議員に当選8回。第31回列国議会同盟会議(ブリュッセル)、第20回万国議院商事会議(ロンドン)に参列する。また鹿児島県養蚕連合組合長、帝国飛行協会評議員などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田良吉」の解説

永田良吉 ながた-りょうきち

1886-1971 大正-昭和時代の政治家。
明治19年9月14日生まれ。生地鹿児島県の県会議員などをへて,昭和3年衆議院議員(当選8回,自由党),18年鹿屋(かのや)市長。この間,飛行場の鹿屋誘致やハンセン病患者の施設星塚敬愛園設立などにつくす。31年にも鹿屋市長となり,戦前戦後を通じて大隅(おおすみ)半島開発に貢献した。昭和46年5月11日死去。84歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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