ベルギーの首都。首都圏人口116万人(2014年)。欧州連合(EU)本部が置かれ「欧州の首都」の顔も持つ。郊外には北大西洋条約機構(NATO)本部もある。トヨタ自動車が欧州の統括管理会社を置くなど、日本企業も多数進出、全日空は昨年、成田からの直行便を就航させた。歴史的な建造物も多く、都心の広場グランプラスは世界遺産に指定されている。中東・北アフリカ出身者も多く、イスラム教徒が大半の移民街もある。(共同)
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ベルギーの首都。同国中央部、サンヌ川の沖積平野に位置し、名称は「沼地の定住地」を意味するブルク・セラBruoc-sella(ブルク・セレBroek-seleとも)に由来する。「ブリュッセル」はフランス語名で、オランダ語名Brusselもほぼ同発音、英語名はブラッセルズBrussels。ブリュッセル首都地域はフランドル、ワロンと並ぶベルギーの三つの「地域」の一つであり、隣接の19自治体を含む。連邦を構成する「フランドル地域」「オランダ語共同体」「フランス語共同体」の各政府も置かれている。首都地域は面積162平方キロメートル、人口97万8384(2002)。
[川上多美子]
市庁舎などが面する広場が1998年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「ブリュッセルのグラン・プラス」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部]
フランス・オランダ両語使用地域。ベルギーの政治、経済、文化の中心地であるのみならず、EU(ヨーロッパ連合)、NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)などの本部が置かれ、西ヨーロッパの首都的な性格ももつ。人口の2割強が外国人。ヨーロッパの鉄道交通の中心地で、1835年にヨーロッパ大陸初の鉄道が当地と北東郊外メケレンとの間に建設された。今日ではTGV(テージェーベー)が走り、パリやアムステルダムへ2~3時間、ユーロスターでロンドンへ3時間余り、ユーロシティでケルンへ2時間余りとなっている。
本来のブリュッセル市は、14世紀に築造された城壁を19世紀末に除去した跡に建設された五角形の大通り内部を占める。東部の台地には王宮、行政機関や議会、最高裁判所や公園、高級商店街などがあり、西部の低地には市庁舎や証券取引所など商業地区がある。工業地域は西方のシャルルロア・ブリュッセル運河沿いに北のビルボルドから南のアルまで延びている。既製服、皮革、印刷、製本、映画フィルム、自動車組立て、電気機械、せっけん、薬品、肥料、チョコレート、ビール、製粉などの諸工業が営まれるほか、レース、綴織(つづれおり)の壁掛け(タペストリー)やじゅうたんなど伝統産業が有名である。人口は減少しているが、隣接する自治体では1世紀で4倍に増加し、東部や南東部へ向かって宅地化が急速に進んでいる。1970年代に地下鉄建設とともに都心の再開発が行われ、低地の商業地区に近代的建築物が増加し、中心が北駅寄りに移動した。
観光都市としても内陸部最大の中心で、「小パリ」と称される。グラン・プラス(大広場)は、15世紀ゴシック様式の高塔をもつ市庁舎、17世紀末の金箔(きんぱく)を置いたギルド・ハウス群などに囲まれ、ビクトル・ユゴーが「世界一美しい広場」とたたえた。ほかに「最古のブリュッセル市民」たる小便小僧、サン・ミシェル大聖堂、古典美術館、王立美術歴史博物館などがある。1834年創立のブリュッセル自由大学の所在地。
[川上多美子]
ローマ時代末期にサンヌ川の島にできた村落から発達し、伝説によればサン・ジュリという聖人が島に聖堂を建てたことに始まるという。中世初期にフランク人が進出、定住したが、10世紀末にロタリンギア公シャルル・ド・フランスが城塞(じょうさい)を築いてから政治・商業の中心となった。11世紀にルーバン(ルーフェン)伯、ついでブラバン伯が城を構え、12世紀中葉からケルン―ブリュッヘ(ブリュージュ)間の交通の要衝として商工業が発達した。1229年に自治権を獲得、市場(現在のグラン・プラス)と集会所(現在の市庁舎)を設けた。13世紀末にはハンザ同盟に加わった。羅紗(らしゃ)から毛織物へと主要生産物は変化したが、富裕な市民階層を中心とする経済活動は活発化し、13世紀には人口の増加と相まってヨーロッパ有数の大都市となった。14世紀にブラバン公から特許状を受け、ルーバンにかわって公国の中心都市になった。
宗教的にはカトリック信仰を堅持し、15世紀にハプスブルク家の支配下に入り、16世紀の宗教改革、宗教争乱の時代にも神聖ローマ帝国の代表的都市としての地位を占め、独立したプロテスタントのオランダに対抗した。17世紀末、フランス王ルイ14世の攻撃を受け、18世紀以降、オーストリア、フランス、オランダの支配下に入ったが、1830年のベルギー独立後、首都となった。
第一次世界大戦のときと同様に、第二次世界大戦でも、戦争初期にドイツ軍に占領された。しかし戦後の復興は目覚ましく、1958年には万国博覧会が開かれた。1949年にヨーロッパ連合国最高司令部(SHSPE)、1967年にNATOの本部が置かれたが、ブリュッセルがヨーロッパに占める歴史的地位を示すことになるのは、1958年にEEC(ヨーロッパ経済共同体)、ついで1967年にEC(ヨーロッパ共同体)、さらに1993年にはEUの本部がそこに設置されたことである。
日本との関係では、1924年にボワフォールの町に植樹された日本の桜、また1900年のパリ万博で展示され、レオポルト2世が購入、ラーケンの町に移築された五重の塔があげられる。京都の祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾(やまぼこ)の一つ、鯉山(こいやま)にブリュッセル製の綴織が用いられているのも興味深い。
[磯見辰典]
ベルギーの首都で,ブラバント州の州都。首都圏人口100万(2004)。オランダ語ではBrusselと綴り,英語ではブラッセルズBrussels。ブラバントを南北に貫流するセンヌSenne川沿いの低地とその東側の台地に発達した都市で,人口増加に伴って周辺に拡大し,最近では外国人居住者も多い。低地に南北に工業地帯(繊維,食品,化学など)が延びるが,むしろベルギーの行政,情報,商業,金融の中心としての性格が強い。19世紀以来の鉄道網と南北に延びる運河を持ち,現在では自動車道路網の要衝となっている。しかし,言語紛争に伴うベルギーの地域自立化傾向によって,中心地機能の一部をアントワープとリエージュに委譲しつつある。オランダ語地帯に囲まれているが,首都としてフランス語とオランダ語を公用語とし,しかも住民の圧倒的多数がフランス系なので,言語紛争の舞台となっている。ヨーロッパ連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の本部所在地で,国際会議がしばしば開かれる。
ブリュッセルは,1000年ごろセンヌ川の航行可能開始点に設けられた城塞と市場を起源とし,東西交通路を扼する地理的好条件と毛織物工業の発達によって,ブラバント公領の中心都市に成長した。14世紀には民衆闘争が激発したが民主化は狭い範囲に抑えられ,15世紀後半ブルゴーニュ公国によるネーデルラント統一に伴って,その行政的中心となった。その後ネーデルラント南部の最有力都市としての地位を保ち,ベルギー独立(1830)とともに首都となった。この間,文化面での活動も盛んで,著名な画家(ファン・デル・ウェイデンら)や彫刻家を輩出し,タピスリーなどの工芸品が作られた。今日,町の中心の大広場(グラン・プラース)には,96mの鐘塔を誇る市役所(ブラバント・ゴシック,15世紀)や多数のギルド会館が立ち並び,当時の繁栄をしのぶことができる。ほかにも,サン・ミシェル大聖堂(13~15世紀)をはじめとする多くのゴシックおよびバロックの教会堂,19世紀末アール・ヌーボー様式の住宅(V. オルタらによる)などを見る。1834年創設の大学,ブリュッセル王立美術館がある。
執筆者:森本 芳樹
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ベルギーの首都。ネーデルラントの交通の要衝を占めた地理的条件に恵まれ,毛織物工業の繁栄によって,ブラバント地方の中心都市となった。1830年ベルギーの独立により,首都と定められたが,オランダ語(フラマン)に囲まれながらフランス語系(ワロン)の住民が圧倒的な多数を占めたため,熾烈な言語戦争の舞台となった。第二次世界大戦後ヨーロッパ連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の本部が置かれ,ヨーロッパ統合の中心的な役割を演じている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…現在はベルギーのブラバント州とアントワープ(アントウェルペン)州,オランダの北ブラバント州から成る。フランス語地帯に属するベルギーのブラバント州の南半分およびフランス語とオランダ語を公用語とするブリュッセル以外は,オランダ語を用い,オランダ領も含め住民の大部分はカトリック。南部は標高160mほどで丘陵に富み,北端は海面水準に近い。…
…正式名称=ベルギー王国Koninkrijk België∥Royaume de Belgique∥Kingdom of Belgium面積=3万0528km2人口(1996)=1018万人首都=ブリュッセルBruxelles(日本との時差=-8時間)主要言語=フラマン語(オランダ語),ワロン語(フランス語)通貨=ベルギー・フランBelgian francヨーロッパ北西部にある立憲君主国。北はオランダ,東はドイツ,南東はルクセンブルク,南はフランスと境を接し,西は北海に面して65.5kmの海岸線を形づくりイギリスに対する。…
※「ブリュッセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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