日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリュッセル」の意味・わかりやすい解説
ブリュッセル
ぶりゅっせる
Bruxelles
ベルギーの首都。同国中央部、サンヌ川の沖積平野に位置し、名称は「沼地の定住地」を意味するブルク・セラBruoc-sella(ブルク・セレBroek-seleとも)に由来する。「ブリュッセル」はフランス語名で、オランダ語名Brusselもほぼ同発音、英語名はブラッセルズBrussels。ブリュッセル首都地域はフランドル、ワロンと並ぶベルギーの三つの「地域」の一つであり、隣接の19自治体を含む。連邦を構成する「フランドル地域」「オランダ語共同体」「フランス語共同体」の各政府も置かれている。首都地域は面積162平方キロメートル、人口97万8384(2002)。
[川上多美子]
地誌
フランス・オランダ両語使用地域。ベルギーの政治、経済、文化の中心地であるのみならず、EU(ヨーロッパ連合)、NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)などの本部が置かれ、西ヨーロッパの首都的な性格ももつ。人口の2割強が外国人。ヨーロッパの鉄道交通の中心地で、1835年にヨーロッパ大陸初の鉄道が当地と北東郊外メケレンとの間に建設された。今日ではTGV(テージェーベー)が走り、パリやアムステルダムへ2~3時間、ユーロスターでロンドンへ3時間余り、ユーロシティでケルンへ2時間余りとなっている。
本来のブリュッセル市は、14世紀に築造された城壁を19世紀末に除去した跡に建設された五角形の大通り内部を占める。東部の台地には王宮、行政機関や議会、最高裁判所や公園、高級商店街などがあり、西部の低地には市庁舎や証券取引所など商業地区がある。工業地域は西方のシャルルロア・ブリュッセル運河沿いに北のビルボルドから南のアルまで延びている。既製服、皮革、印刷、製本、映画フィルム、自動車組立て、電気機械、せっけん、薬品、肥料、チョコレート、ビール、製粉などの諸工業が営まれるほか、レース、綴織(つづれおり)の壁掛け(タペストリー)やじゅうたんなど伝統産業が有名である。人口は減少しているが、隣接する自治体では1世紀で4倍に増加し、東部や南東部へ向かって宅地化が急速に進んでいる。1970年代に地下鉄建設とともに都心の再開発が行われ、低地の商業地区に近代的建築物が増加し、中心が北駅寄りに移動した。
観光都市としても内陸部最大の中心で、「小パリ」と称される。グラン・プラス(大広場)は、15世紀ゴシック様式の高塔をもつ市庁舎、17世紀末の金箔(きんぱく)を置いたギルド・ハウス群などに囲まれ、ビクトル・ユゴーが「世界一美しい広場」とたたえた。ほかに「最古のブリュッセル市民」たる小便小僧、サン・ミシェル大聖堂、古典美術館、王立美術歴史博物館などがある。1834年創立のブリュッセル自由大学の所在地。
[川上多美子]
歴史
ローマ時代末期にサンヌ川の島にできた村落から発達し、伝説によればサン・ジュリという聖人が島に聖堂を建てたことに始まるという。中世初期にフランク人が進出、定住したが、10世紀末にロタリンギア公シャルル・ド・フランスが城塞(じょうさい)を築いてから政治・商業の中心となった。11世紀にルーバン(ルーフェン)伯、ついでブラバン伯が城を構え、12世紀中葉からケルン―ブリュッヘ(ブリュージュ)間の交通の要衝として商工業が発達した。1229年に自治権を獲得、市場(現在のグラン・プラス)と集会所(現在の市庁舎)を設けた。13世紀末にはハンザ同盟に加わった。羅紗(らしゃ)から毛織物へと主要生産物は変化したが、富裕な市民階層を中心とする経済活動は活発化し、13世紀には人口の増加と相まってヨーロッパ有数の大都市となった。14世紀にブラバン公から特許状を受け、ルーバンにかわって公国の中心都市になった。
宗教的にはカトリック信仰を堅持し、15世紀にハプスブルク家の支配下に入り、16世紀の宗教改革、宗教争乱の時代にも神聖ローマ帝国の代表的都市としての地位を占め、独立したプロテスタントのオランダに対抗した。17世紀末、フランス王ルイ14世の攻撃を受け、18世紀以降、オーストリア、フランス、オランダの支配下に入ったが、1830年のベルギー独立後、首都となった。
第一次世界大戦のときと同様に、第二次世界大戦でも、戦争初期にドイツ軍に占領された。しかし戦後の復興は目覚ましく、1958年には万国博覧会が開かれた。1949年にヨーロッパ連合国最高司令部(SHSPE)、1967年にNATOの本部が置かれたが、ブリュッセルがヨーロッパに占める歴史的地位を示すことになるのは、1958年にEEC(ヨーロッパ経済共同体)、ついで1967年にEC(ヨーロッパ共同体)、さらに1993年にはEUの本部がそこに設置されたことである。
日本との関係では、1924年にボワフォールの町に植樹された日本の桜、また1900年のパリ万博で展示され、レオポルト2世が購入、ラーケンの町に移築された五重の塔があげられる。京都の祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾(やまぼこ)の一つ、鯉山(こいやま)にブリュッセル製の綴織が用いられているのも興味深い。
[磯見辰典]