河合庄・河合新庄(読み)かわいのしよう・かわいのしんしよう

日本歴史地名大系 「河合庄・河合新庄」の解説

河合庄・河合新庄
かわいのしよう・かわいのしんしよう

現八女市南西部に比定される。中世は宇佐宮弥勒寺領。建仁元年(一二〇一)上妻郡「川合本庄」の五〇町に高良こうら(現久留米市)の左右御坂本社二宇のうち北方の一宇、同じく川合新庄の三三町に留守社一宇の造営役がそれぞれ賦課されている(高良宮造営田数注文)。鎌倉初期と考えられる弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「河合庄三十丁」とみえ、宇佐宮弥勒寺喜多きた院領であった。文永七年(一二七〇)三月日の宮清弥勒寺領注進抜書(同文書/鎌倉遺文一四)に弥勒寺領西宝塔院家の庄園として河合新庄がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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