日本歴史地名大系 「川合村」の解説
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
- 島根県:大田市
- 川合村
川合村
かわいむら
川合村
かわあいむら
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
- 三重県:亀山市
- 川合村
近世を通じて亀山藩領。寛永一四年(一六三七)の内検地では田畑合せて八八町余、村高は一千一七六石余、茶桑銭・藪年貢・新開林運上銀などの小物成を上納。助郷は亀山宿に出役し、寛文六年(一六六六)の改定以後は馬一四疋を出し、別に伝馬宿入用銭を負担した。
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
慶長検地高目録には村名はなく、中原村に含まれていた。のち分村し天保郷帳では村高八五石余。慶長六年(一六〇一)の川合村御検地帳写(善福寺文書)によれば茶三四斤余を産した。屋敷数一九。文化五年(一八〇八)の川合村大指出帳(堀江家文書)では家数一六で内訳は庄屋一・肝煎一・本役七・半役六・無役一、人数五三(男二五・女二八)、牛三。文政三年(一八二〇)の山保田組在々家数人数并牛馬増減調帳(同文書)では家数一九(高持一六・無高隠居家三)、人数五二(居村稼人五〇・他領出稼人二)、牛三。
川合村
かわいむら
「三河国二葉松」に「川井村古屋鋪 二ケ所在之、奥平伝九郎或時奥平美作守美藤万五郎ト云者ヲ以テ本宮山猿カ馬場ト云所ニテ鉄砲ニテ殺ス、次阿知和七兵衛住ス」とあり、
川合村
かわいむら
- 岐阜県:美濃加茂市
- 川合村
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
- 福岡県:八女市
- 川合村
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
川合村
かわいむら
川合村
かあいむら
川合村
かわいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報