日本歴史地名大系 「沼貫庄」の解説
沼貫庄
ぬぬきのしよう
現氷上町の南部を占めたと考えられる庄園。古代氷上郡沼貫郷(和名抄)を継承する。貫々木庄とも書く(貞和三年三月二〇日「足利尊氏下文案」久下信生家文書)。永和元年(一三七五)一一月一六日の後円融天皇綸旨案(東寺百合文書)に沼貫庄とみえ、同じ丹波国の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現氷上町の南部を占めたと考えられる庄園。古代氷上郡沼貫郷(和名抄)を継承する。貫々木庄とも書く(貞和三年三月二〇日「足利尊氏下文案」久下信生家文書)。永和元年(一三七五)一一月一六日の後円融天皇綸旨案(東寺百合文書)に沼貫庄とみえ、同じ丹波国の
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