沼貫庄(読み)ぬぬきのしよう

日本歴史地名大系 「沼貫庄」の解説

沼貫庄
ぬぬきのしよう

現氷上町の南部を占めたと考えられる庄園。古代氷上郡沼貫郷(和名抄)を継承する。貫々木庄とも書く(貞和三年三月二〇日「足利尊氏下文案」久下信生家文書)。永和元年(一三七五)一一月一六日の後円融天皇綸旨案(東寺百合文書)に沼貫庄とみえ、同じ丹波国の船井ふない(現京都府弥栄町)拝師はやし(現同府福知山市)榎原えばら(現同上)とともに御起請符の地として大嘗会米を免除されており、法勝ほつしよう(現京都市左京区)領であった。成立は同寺が建立された承暦元年(一〇七七)頃と考えられるが、その後の経緯については不明な点が多い。庄内佐野さの村は貞和三年(一三四七)三月二〇日、久下時重に勲功の賞として宛行われている(前掲足利尊氏下文案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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