日本歴史地名大系 「泉田庄」の解説 泉田庄いずみだのしよう 広島県:庄原市泉田庄庄原市の南西部、現在の高茂(こうも)・水越(みずこし)・山内(やまのうち)・平和(へいわ)・尾引(おびき)・木戸(きど)付近が荘域とされる。延徳二年(一四九〇)六月一九日付の山名俊豊書状(山内首藤家文書)に「栖真院領泉田内三ケ村代官職事、就三吉涌喜上野介与相論之儀、可有直務之由、院主被申定候、然上者、両人共以永可有停止彼望候」とみえ、延暦寺栖真(せいしん)院領としてみえる。しかし荘名はないが、当庄をさす内容をもつ文書として、さかのぼって文安元年(一四四四)三月一二日付の山名持豊判物(同文書)に「山門領備後国四ケ村栖真院請地之事、従院主代官職契約之旨、令存知候」とある。この「山門領備後国四ケ村」というのは、恵蘇(えそ)郡川北(かわぎた)村および泉田庄内の西条(さいじよう)(のちの上・下・尾引)、木戸、高茂(のちの水越を含む)の四村をさすと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by