洛中・洛外(読み)らくちゆう・らくがい

日本歴史地名大系 「洛中・洛外」の解説

洛中・洛外
らくちゆう・らくがい

平安京における都城制的規矩の崩壊は、一〇世紀後の顕著な現象であったが、これによって京都は左京を中心にした長形の都市型を形成した。しかも、この左京は、九世紀以来、中国の首都名である「洛陽」を冠せられていたから、これにちなんで首都を意味する「京洛」あるいはただ「洛」と普通名詞的に呼称される場合が多くなっていた。殊に汎用例が余り多くなかったにもかかわらず、「京都」というこれも首都を意味する呼称が、固有名詞化するにつれて、「洛」を使用する傾向は更に強まっていたが、一二世紀以後、中世の新時代を迎えて、それは決定的なものになった。

つまり、「左」(東)・「右」(西)という両京の都市概念が喪失するとともに、「洛」の都市概念が固定化し、これに加えて「洛」の「ウチ」と「ソト」とを、「洛中」「洛外」あるいは「洛中」「辺土」という言葉によって区別されるようになってきたのである。この場合「洛外」は、鴨川以東及び朱雀すざく大路(現千本通)以西の田園化したかつての右京を含んで、北に南に広大な広がりをもつようになる。現在京都市域となっている地について古代の郡郷(和名抄)によってみれば、おおよそその範域は、愛宕郡全域(蓼倉・栗野・粟田(上・下)・大野・小野・錦部・八坂・鳥戸・愛宕・賀茂・出雲郷)・宇治郡の一部(余部・小野・山科・小栗郷)・紀伊郡の全域(岡田・大里・紀伊・鳥羽・石原・拝志・深草・石井郷)・葛野郡の全域(橋頭・大岡・山田・川辺・葛野・川島・上林・櫟原・高田・下林・綿代・田邑郷)・乙訓郡の一部(大江・訓世・榎本・羽束・石作郷)である。

これに対し、「洛中」においてもまた、地域概念をもつようになった。その区分けの呼称は、「かみ」と「しも」である。既に「今昔物語集」にも「上辺かみわたり」「下辺しもわたり」という表現が用いられているが、その上・下、すなわち南北の地域を区画する基準となったのは、平安京における二条大路(現二条通)であった。二条大路は、左右両京を二分する朱雀大路に次ぐ巨大道路であり、幅員約五〇メートルをはかるが、この東西に横断する大路が、自然に上・下を分断する地理上の基準線となった。鎌倉期には明確に「上下町中」(「思円上人一期形象記」建治元年条)という言葉がみられるが、これは中世後期に至る時期に、「上京」「下京」という呼称に置換えられるようになり、室町時代には、「今暁上京焼失」(「遍智院宮御入壇記」裏書の「具注暦日記」応永一〇年一〇月三日条)、「及深更下京焼失了」(「山科家礼記」応永一九年五月二日条)などと「上京」「下京」の呼称が一般化していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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