検非違使の事務を扱う官署のことで,略して使庁とも称す。その成立についていくつかの説があるが,正確なところは不明である。おそらく弘仁年中(810-824)に検非違使が創置されて以来漸次整備がすすみ,別当が置かれるようになった834年(承和1)のころ完成したとみるべきであろう。最初左右衛門府内に置かれていたが,864年(貞観6)に市司(いちのつかさ)で使庁の行事を行うこととし,次いで895年(寛平7)に左右衛門府内に左右の使庁を定め,947年(天暦1)に至り左右使庁を統合しもっぱら左庁のみで事を行うことにしている。しかし平安末期になると庁屋を別当の私第に置き,そこで庁務を執行するようになっている。使庁の権限は弾正台(だんじようだい)や京職・刑部省・衛府などの警察・司法に関する職掌に由来し,律令法規に基づき追捕・裁判・科刑を行ったが,独自の法規集として〈検非違使式〉や〈正続使庁類聚〉などを整備している。使庁の捜査ないし審理は律令訴訟法に従い職権ないし告言により開始されたが,使官人が原則として衛門府官人を本官としていたのでややもすれば武断的であり,原告を誣告容疑者として扱い被告とともに収監する三審制を後退させ,告言の場合でも職権による審理と同様の傾向を示すなど,臨機応変的な手続を発達させている。刑量についても重罪に対しては律に比較して厳しく,軽微な犯罪に対してはかなり寛大な態度で臨んでいる。例えば盗犯に対しては律の徒刑より1年加重するのが例であり,凶悪犯の場合刑期が過ぎても釈放しなかった。使庁官人は市司や防鴨河使(ぼうかし)などの職員を兼任する慣例があり,使庁は京城内の司法・警察に当たるだけでなく,商品流通をはじめとする民政にも関与するようになっている。中世に入り武家政権が成立すると京城内の警察も武家の側の京都守護や六波羅探題へ吸収し,使庁の権限は衰微していくが,京都市政機関としては中世を通じて存続し,朝廷方の重要な機関であった。国郡や荘園の検非違使が職務を行う庁所は検非違所と称した。
執筆者:森田 悌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
使庁とも。検非違使の執務場所。元来,衛門府の局または市司(いちのつかさ)において執務が行われていたが,犯人の処断促進のため894年(寛平6)左右衛門府に,さらに947年(天暦元)左衛門府に検非違使庁を固定して,毎日の政務を行うこととした。通常の政務は佐以下によって行われ,その詳細が別当邸(別当庁)に報告されることになっていた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…もと朝廷―国衙の法体系で生まれた概念であろう。 鎌倉時代以降,朝廷では京都は検非違使庁,諸国は国衙が検断に当たるが,国衙の権限は早く守護に吸収される。京都では武家所属の者が当事者でないかぎり,原則として検断は検非違使庁の権限に属し,14世紀末には武家に吸収される。…
…検非違使庁(けびいしちよう)で雑用に使われた下部(しもべ)。元来は罪人の釈放を意味したが,使庁が彼らを用いたことからこの名称がおこった。…
※「検非違使庁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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