日本歴史地名大系 「本願寺寺内町」の解説
本願寺寺内町
ほんがんじじないちよう
天正一九年の本願寺の移転に従って移住してきた町人たちの町。伽藍造営とともに、寺内町建設も進められた。「紫雲殿由縁記」には「天満ヨリ御供シテ直ニ京七条境内に住スル輩数多シ、番匠・絵図師・仏具師、
〔町と住民〕
初期西寺内の様子が描かれたと思われる六条境内図には、本願寺門前の東側に四町、南側に六町、合計一〇町がみえる。寺内町のなかには、俗に「古町」「由緒町」と称して、他町より一段高い格式をもつ町が一三町あったが、それらは六条境内図が描かれた頃にすでに成立していたであろう。その一三町は、表処置録によれば、
また古町・由緒町計一三町のほか、「客屋十二丁」とよばれる一群があり、そこは、全国諸末寺からの本山参拝者などが宿泊し、客の出入りも多いことから、とくに別個の支配がなされていたものと思われる。表処置録には、安永六年(一七七七)の次のような触書が載る。
これにより「客屋十二丁」の宿屋は、本来本山参詣者の宿泊施設であったことがわかる。この客屋一二町とは、由緒町でもある油小路通四町、すなわち西若松町・仏具屋町・玉本町・米屋町と、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報