津々村(読み)つつむら

日本歴史地名大系 「津々村」の解説

津々村
つつむら

[現在地名]高梁市中井町津々なかいちようつつ

西方にしかた村の北東、津々川の上流部に位置し、本村ほんむら入野にゆうの横内よこうち山際やまぎわなどの集落がある。天正(一五七三―九二)頃の某功名覚書(荘文書)に毛利氏家臣宍戸備前守が津々城を攻めたことがみえる。寛永備中国絵図に村名がみえ、高五三〇石余、松山藩領(以後の領主の変遷は松山西村に同じ)正保郷帳でも同高、松林少・柴山小・芝草山大とあり、枝村に中津井なかつい・横内・正山・入野山際の五村を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む