日本歴史地名大系 「津々良村」の解説 津々良村つづらむら 大分県:大分郡湯布院町津々良村[現在地名]湯布院町川西(かわにし) 上津々良(かみつづら)・下津々良(しもつづら)・戦川(たたかいがわ)内徳野(うちどくの)村南方の大分川右岸沿いに位置し、西方に野稲(のいね)岳がそびえる。慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡・由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)に「つゝら村」とみえ、高四〇二石余。同一六年の家数四七・人数九二(うち庄屋・肝煎二、本百姓一〇・名子一一)、牛一九・馬七(小倉藩慶長人畜改帳)、元和八年(一六二二)の高二三四石余、家数五四・人数九八(うち本百姓・小百姓一二、名子二〇)、牛一三・馬六(小倉藩元和人畜改帳)。寛永六年(一六二九)の馬渡(まわたし)井路の通水により、当村や幸野(こうの)村では新田開発が進んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報