日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄土寺(兵庫県)」の意味・わかりやすい解説
浄土寺(兵庫県)
じょうどじ
兵庫県小野(おの)市浄谷(きよたに)町にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗の寺。極楽山(ごくらくさん)と号する。新西国(さいごく)三十三か所の客番霊場。聖武(しょうむ)天皇の勅願によって行基(ぎょうき)が開創したと伝える。当初は広渡寺と称したが荒廃し、鎌倉初期に俊乗房(しゅんじょうぼう)重源(ちょうげん)が東大寺の播磨(はりま)別所として中興し、現寺号に改称した。浄土堂(阿弥陀堂(あみだどう)、国宝)、薬師堂(国の重要文化財)は鎌倉時代の建築、他の堂は江戸時代に建立されたものである。浄土堂内陣に安置された木造阿弥陀三尊像(国宝)のうち中尊は、約5メートルに及ぶ壮大な立像である。そのほか、木造重源坐像(ざぞう)、絹本着色真言八祖像8幅、絹本着色仏涅槃(ねはん)図、銅製五輪塔(いずれも国の重要文化財)など多くの文化財を所蔵している。また境内にある八幡(はちまん)神社の拝殿と本殿も国の重要文化財。
[眞柴弘宗]