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阿弥陀堂 あみだどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿弥陀堂
あみだどう

建築様式の一つ。阿弥陀仏の住む極楽浄土を表現する。平安時代中期から隆盛になった浄土信仰のもとに,おもに平安貴族によって建造された。その内部には金色の阿弥陀仏を安置し,壁に極彩色をもって極楽浄土を描いている。

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デジタル大辞泉の解説

あみだ‐どう〔‐ダウ〕【××陀堂】

阿弥陀仏を本尊として安置する堂。
利休好み茶の湯釜の一。豊臣秀吉の供で有馬温泉へ出かけた千利休が、阿弥陀堂で大きな湯釜を見つけ、それをかたどり作らせたという。

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百科事典マイペディアの解説

阿弥陀堂【あみだどう】

阿弥陀仏を安置した堂。東大寺法華寺など奈良時代からみられるが,平安中期から貴族の極楽浄土を現前させたい願望によって流行。多くは方形の小建築で,内部に彩色を施し,壁に九品(くほん)浄土を描く。
→関連項目藤原時代

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世界大百科事典 第2版の解説

あみだどう【阿弥陀堂】

阿弥陀如来を本尊とする堂やそれを含む院(阿弥陀院)。奈良時代から記録にみえ,東大寺南阿弥陀堂(741)や法華寺阿弥陀浄土院(760)は有名で,後者には苑池もあったらしい。このような伽藍は《当麻曼荼羅(たいままんだら)》のような浄土変相図の影響を受けたものであった。しかし,阿弥陀堂という形式が成立し隆盛となるのは,末法思想を背景として浄土信仰が高まった平安時代中ごろからで,大小各種の規模の堂が建立された。

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大辞林 第三版の解説

あみだどう【阿弥陀堂】

阿弥陀如来を本尊として安置した堂。
千利休好みの釜かま。豊臣秀吉が有馬温泉で開いた茶会でも用いられた。阿弥陀堂釜。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿弥陀堂
あみだどう

阿弥陀仏を本尊にもつ堂宇の総称。中国で東晋(とうしん)時代に慧遠(えおん)が廬山(ろざん)(江西省)般若台(はんにゃだい)に創建してから、唐時代に善導(ぜんどう)、法照らが造営したとみられる。日本においては、奈良時代に東大寺阿弥陀堂、法華寺(ほっけじ)浄土院が建ち、阿弥陀悔過(けか)などの法要が行われた。阿弥陀堂の建立がもっとも盛んになったのは平安時代後期で、方一間の母屋(おもや)に阿弥陀仏を安置し、周囲に庇(ひさし)を伸ばして三方を囲んだ形式につくられた。これは、円仁(えんにん)が比叡山(ひえいざん)に始めた常行堂(じょうぎょうどう)の形式を継いだもので、一間四面堂とよばれる。源信(げんしん)らにより、浄土信仰が一世を風靡(ふうび)すると、貴族階級はことごとく浄土往生(おうじょう)を願い、個々に阿弥陀堂建立にいそしんだ。藤原道長の法成寺無量寿院(ほうじょうじむりょうじゅいん)阿弥陀堂はその代表で、藤原頼通(よりみち)の宇治平等院鳳凰堂(ほうおうどう)にその様式がしのばれる。福島県いわき市の願成寺(がんじょうじ)(白水(しらみず)阿弥陀堂)、京都日野の法界寺阿弥陀堂、京都大原の三千院本堂、大分県豊後(ぶんご)高田市の富貴寺(ふきじ)大堂、岩手県平泉の中尊寺金色堂、京都の浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂などが遺構として有名。[木内堯央]

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世界大百科事典内の阿弥陀堂の言及

【阿弥陀】より

…阿弥陀信仰が成熟したのは平安時代中・末期である。阿弥陀堂,迎接堂が建てられ,聖衆来迎図が描かれ,迎講,往生講,阿弥陀講などが営まれた。信仰者は当初僧侶・貴族層であったが,官人,武士,農民,沙弥など各層に及び,奴婢,屠児など卑賤のものも阿弥陀信仰を精神的支柱としていた。…

【浄土教美術】より

… 985年(寛和1)源信の撰述した《往生要集》は,現世をいとい来世に往生する手段として阿弥陀如来を念仏する五つの方法や臨終時の作法を説いたが,その中でも最も重視されたのは阿弥陀を観想する法と臨終時に来迎(らいごう)を祈念する法であったとみられる。以後浄土信仰は急速に貴族社会に滲透したが,その際,前者からは定印阿弥陀仏と阿弥陀堂建築が成立し,後者からは迎講(むかえこう),阿弥陀来迎図が生まれる。阿弥陀堂の代表的遺構は11世紀建立の平等院鳳凰堂,法界寺阿弥陀堂,白水阿弥陀堂などであり,葬堂に用いられている中尊寺金色堂も同類である。…

【葬制】より

…そして,高野山の奥の院が弥勒下生の地と信じられた平安末期になると,人々は竹筒や木造の五輪塔に骨をこめて奥の院へ納骨するようになり,さらに室町時代になると石造五輪塔も持ちこむようになった。一方,土葬した上に阿弥陀堂を建立することも行われ,またこれに結縁せんとして火葬骨を持ちこむ者もあった。堂の中に阿弥陀如来の代りに五輪塔を建立する者も出た。…

【日本建築】より

…したがって,これは神社建築においては拝殿となり,八幡造から権現造へと発展する。平安時代の後半には浄土教が盛んになり,阿弥陀堂が数多く建てられた。これらは当時の人々が頭に描いていた極楽浄土の造形的表現で,平等院鳳凰堂などに見られるように,絵画・工芸の粋を集めて装飾された。…

【墓】より

…そして堀河天皇の墓所の上に阿弥陀如来の立つのが夢に見られるまでになった。ここに埋葬した上に阿弥陀堂を建立する風習が生まれてくる。現存する代表的な事例が平泉の中尊寺金色堂である。…

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