浄楽寺-七ツ塚古墳群(読み)じょうらくじななつづかこふんぐん

国指定史跡ガイド 「浄楽寺-七ツ塚古墳群」の解説

じょうらくじななつづかこふんぐん【浄楽寺-七ツ塚古墳群】


広島県三次(みよし)市高杉町・小田幸町ほかにある古墳群。中国山地にある三次盆地周辺は、中国地方有数の古墳の密集地帯である。浄楽寺-七ツ塚古墳群は、そのうちでも最大規模の古墳群の一つで、三次盆地の南東部、美波羅(みはら)川西岸にある丘陵上に分布する。古墳群は南北2つに分かれる。北側の浄楽寺古墳群は、最大規模の12号墳は径45m、高さ6mの円墳で、帆立貝形古墳1基・円墳97基・方墳18基の計116基。南側の七ツ塚古墳群には、全長29.5mの前方後円墳1基をはじめ、帆立貝形古墳2基・円墳55基・方墳2基の計60基がある。埋葬施設、出土遺物から、古墳時代中期~後期(5~6世紀)に営まれたと考えられている。1972年(昭和47)に国の史跡に指定された。古墳群を中心とする一帯は広島県立みよし風土記の丘として保存・整備されている。JR芸備線ほか三次駅から備北バス「風土記の丘入口」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の浄楽寺-七ツ塚古墳群の言及

【三次[市]】より

…広島県北部の市。1954年三次町,十日市町を中心に周辺6ヵ村が合体,市制。人口3万9844(1995)。山陰と山陽を結ぶ交通上の結節点であり,中心市街地は西城川,馬洗(ばせん)川が可愛(えの)川に合流して江の川となる所に発達する。三次盆地一帯は古くから砂鉄を産し,寺町廃寺址(奈良時代前期)がある。中世には和知荘の和知氏,江田荘の江田氏,また比叡尾山(ひえびやま)城に拠った三吉氏が一帯を支配したが,1591年(天正19)三吉氏が本拠を比熊山城に移したのが市街形成の契機とされる。…

※「浄楽寺-七ツ塚古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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