日本歴史地名大系 「浅草中村」の解説 浅草中村あさくさなかむら 岐阜県:大垣市旧安八郡地区浅草中村[現在地名]大垣市浅中(あさなか)水門(すいもん)川右岸の低湿地に開け、大垣輪中の南部に位置する。東は浅草東村。正保二年(一六四五)に開発されたという浅草新田に属し、のち浅草三郷の一村となる。江戸時代は大垣藩領。正保郷帳には北の釜笛(かまふえ)村の内として浅草新開の名がみえる。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳には浅中村と記され、高八五二石余。元禄郷帳には浅草中村とみえ、高八八三石余、元禄郡高寄帳には古くは浅草新田と注される。「座右秘鑑」も浅草新田が浅草中村と改称したとする。天和三年(一六八三)の家数三六・人数一七二、享和三年(一八〇三)の家数五二・人数二四八、弘化三年(一八四六)の家数六〇・人数二六八、うち男一二六・女一四二(各年「宗門改帳」河合文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報