浅草高原屋敷(読み)あさくさたかはらやしき

日本歴史地名大系 「浅草高原屋敷」の解説

浅草高原屋敷
あさくさたかはらやしき

[現在地名]台東区寿ことぶき二丁目

新寺町しんてらまち通の南にあり、東は浅草田原あさくさたわら町一丁目、南は浅草金龍寺あさくさきんりゆうじ門前、西は浅草本法寺あさくさほんぽうじ門前。文政町方書上によるともとは原地で、承応二年(一六五三)御数寄屋頭支配・御茶碗御用達商高原伊十郎の先祖平兵衛が表間口京間四五間四尺五寸、裏行東の方一八間、同西の方九間一尺五寸、七七四坪二合九夕を町屋敷として拝領した。これにより高原屋敷と称したという。拝領地のうちに二間半と五間半ほどの御茶碗焼物釜場があったが、天明六年(一七八六)出水で損壊し、釜場は上方へ移転、当地には築地などの跡のみ残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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