浅見与七(読み)アサミ ヨシチ

20世紀日本人名事典 「浅見与七」の解説

浅見 与七
アサミ ヨシチ

大正・昭和期の園芸学者 東京大学名誉教授;園芸学会会長。



生年
明治27(1894)年3月12日

没年
昭和51(1976)年11月6日

出生地
岐阜県

学歴〔年〕
東京帝国大学農科大学農学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔大正12年〕

経歴
大正12年「日本林檎及油桃ニ就テ」で農学博士。同年東大助教授、昭和7年教授。16年から園芸試験場長を兼任。園芸学会役員、26年同会長を務め、29年退職、名誉教授。日本学術会議会員、全販連顧問も務めた。著書に「果樹栽培汎論」(全3巻)、「重要果物原色図説」「新撰原色果物図説」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅見与七」の解説

浅見与七 あさみ-よしち

1894-1976 大正-昭和時代の園芸学者。
明治27年3月12日生まれ。昭和7年母校東京帝大の教授となる。園芸学会会長,学術会議委員などをつとめた。昭和51年11月6日死去。82歳。岐阜県出身。著作に「果樹栽培汎論」「鶏肋」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の浅見与七の言及

【農学】より

…篤農荻原豊次の保温折衷苗代の創出は,水稲苗研究の端緒になり,塩入松三郎の水田脱窒現象の発見と全層施肥法の考案は,現代の水田土壌化学への出発点となり,寺尾博らの水稲の冷温による被害の研究は,今日の水稲生理・生態実験の嚆矢(こうし)ともいうべきものとなった。浅見与七が果樹研究へ実験的手法を取り入れたことも見落とせない。 日本の農学発展の第2の契機は,第2次世界大戦中から終戦後10年近い期間における食糧不足であった。…

※「浅見与七」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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