浜安木村(読み)はまやすぎむら

日本歴史地名大系 「浜安木村」の解説

浜安木村
はまやすぎむら

[現在地名]香住町安木

峠越えで訓谷くんだに村の東に位置する。北は訓谷湾に面し、集落は同湾に注ぐ安木川の河口右岸に発達。東は山境に相谷あいだに村、南は奥安木おくやすぎ村。古くは奥安木村と一村で安木村といったが、のちに分村した。ただし郷村帳類では分村後も両村を併せ一村として高付する場合もあった。永正一二年(一五一五)一〇月一四日山名致豊は伊東勘解由左衛門尉に宛て、「伯州立継郷内」の本知の替地として、長新左衛門尉跡の「安木村并古次分」を与えており(「山名致豊判物」芥川并伊東文書)、戦国前期には長新左衛門尉が知行していた。立継郷は伯耆国立縫たてぬい(現鳥取県倉吉市)のことと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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