浦庄・浦新庄(読み)うらのしよう・うらのしんしよう

日本歴史地名大系 「浦庄・浦新庄」の解説

浦庄・浦新庄
うらのしよう・うらのしんしよう

飯尾(いのお)川中流南岸の平野部、現石井町浦庄上浦(うらしようかみうら)・下浦および現鴨島(かもじま)町上浦一帯に比定される。浦新庄は浦庄の東部を占め、現石井町の浦庄東部から石井付近まで及んでいたと推定される。また浦の呼称から吉野川に面していたと考えられる。建治二年(一二七六)六月五日の関東御教書写(城内村幸蔵所蔵文書)に「阿波国浦新庄」とみえ、浦新庄の図師職ならびに名田畠および作毛をめぐっての刃傷沙汰を井上右衛門入道信願が訴え、幕府から六波羅探題北条義宗に調査が命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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