浦庄・浦新庄(読み)うらのしよう・うらのしんしよう

日本歴史地名大系 「浦庄・浦新庄」の解説

浦庄・浦新庄
うらのしよう・うらのしんしよう

飯尾いのお川中流南岸の平野部、現石井町浦庄上浦うらしようかみうら・下浦および現鴨島かもじま町上浦一帯に比定される。浦新庄は浦庄の東部を占め、現石井町の浦庄東部から石井付近まで及んでいたと推定される。また浦の呼称から吉野川に面していたと考えられる。建治二年(一二七六)六月五日の関東御教書写(城内村幸蔵所蔵文書)に「阿波国浦新庄」とみえ、浦新庄の図師職ならびに名田畠および作毛をめぐっての刃傷沙汰を井上右衛門入道信願が訴え、幕府から六波羅探題北条義宗に調査が命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む