石井町(読み)いしいちよう

日本歴史地名大系 「石井町」の解説

石井町
いしいちよう

面積:二八・八三平方キロ

名西郡の北東部、吉野川下流右岸に位置。北は吉野川、南は四国山地で、町域はほぼ方形をなす。東は徳島市、西は麻植おえ鴨島かもじま町、南は四国山地まえ山の分水を境として徳島市と神山かみやま町、北は吉野川を挟み板野いたの上板かみいた町。町内を飯尾いのお川と渡内わたうち川、川が東流する。東西にJR徳島線・国道一九二号、主要地方道徳島―鴨島線、南北に主要地方道石井―引田ひけた線などが通る。JR徳島線には石井駅・下浦しもうら駅があり、上板町との間の吉野川には六条ろくじよう大橋・高瀬たかせ橋が架かる。北部は吉野川の氾濫による肥沃沖積平野で生産性の高い土壌であり、南部の山際も古くから開発されていた。高川原たかがわら遺跡や清成きよなり遺跡など町内に散在する弥生時代の住居跡や、町域南東端に位置する気延きのべ(二一二・三メートル)周辺の古墳群は県内最大で、古くから開発が進み、地域的な権力が存在していたとみられる。また古代の阿波国府に隣接し、条里遺構やじよううち石井廃寺尼寺にじ阿波国分尼寺跡、養老七年(七二三)銘の阿波国造墓碑が中王子なかおうじ神社に存在することなどから、奈良時代には政治・文化の中心地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石井町」の意味・わかりやすい解説

石井〔町〕
いしい

徳島県北東部,吉野川下流南岸にある町。1907年町制。1955年浦庄村,高原村,高川原村,藍畑村と合体平地が広く,南の町境は山地で画される。古くから阿波の行政の中心で,東部には奈良時代に国分尼寺が置かれた。吉野川沿いの地域は,藩政時代には藍作地として知られたが,大正以降はクワ畑,麻名用水の開通以来は水田地帯へと変遷。1960年頃から徳島市の膨張に伴い,葉菜類の栽培と宅地化が進展。1964年新産業都市に指定。国指定史跡の阿波国分尼寺跡がある。童学寺の逍遙園は四国最古の庭園として知られる。JR徳島線,国道192号線が通る。面積 28.85km2。人口 2万4833(2020)。

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