海松村(読み)みるむら

日本歴史地名大系 「海松村」の解説

海松村
みるむら

[現在地名]輪之内町松内まつうち

揖斐いび川左岸の大吉おおよし輪中南部に位置し、北東は海松新田。集落は大榑おおぐれ川堤上の東海松と揖斐川堤沿いの西海松の二郷からなり(濃州徇行記)、東海松は里人から本郷ほんごうともよばれる。慶長一七年(一六一二)の徳川家康朱印状(徳川林政史研究所蔵)によると、「見る村之内」の一三二石余が石黒善十郎へ宛行われている。石黒氏は慶長一九年の大坂冬の陣に家康に従い、その功によって尾張国奉行を勤めたのち、当村の野方に居宅を構えたという。慶長郷帳では海松村とみえ、村高三八七石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領二五〇石と尾張藩領一三二石余の二給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android