安八郡(読み)あんぱちぐん

日本歴史地名大系 「安八郡」の解説

安八郡
あんぱちぐん

面積:六二・二二平方キロ
輪之内わのうち町・安八あんぱち町・墨俣すのまた町・神戸ごうど

県の南西部、濃尾平野の北西部に位置し、中西部に大垣市が成立したため、現在の安八郡は南部の輪之内町安八町墨俣町と北部の神戸町に分断される。南部の三町は長良川の右岸揖斐いび川の左岸輪中地帯に位置し、東は岐阜市・羽島市、西は大垣市・養老ようろう養老町、南は海津かいづ平田ひらた町、北は本巣もとす穂積ほづみ町・巣南すなみ町に接する。北部の神戸町は揖斐川の右岸に位置し、北から東は揖斐郡大野おおの町と巣南町、西は揖斐郡池田いけだ町、南は大垣市に接する。旧郡域は輪中で有名な濃尾平野の穀倉地帯にあたるが、古来より洪水の常襲地で水禍が絶えず、しばしば河道が変わり、郡界の変更があった。江戸時代には福束ふくづか輪中・墨俣輪中大垣輪中などがあり、水と闘う水防共同体が形成されていた。当郡は「日本書紀」天武天皇元年(六七二)六月二二日条に安八磨郡とみえるが、大宝二年(七〇二)一一月日の御野国味蜂間郡春部里戸籍(正倉院文書)にみえる味蜂間あじはちま郡が、古い郡名を最もよく伝える。味蜂間は「味鴨が飛来する入江」という意味で、「万葉集」巻一一に「あぢの住む渚沙の入江の荒磯松我を待つ児らはただひとりのみ」とある歌を当郡南部を詠んだものとし、古代に味鴨が生息した伊勢湾の入海であったとする説がある。郡名の表記は後述のように八世紀初めに安八とされ、以後異表記はみられない。「和名抄」には訓を欠くが「延喜式」神名帳に「アハチ」、「拾芥抄」に「アハ」とあり、のちアンパチと訓じられるようになった。

〔原始・古代〕

当郡の考古遺跡は洪水の常襲地であったためか、その数は少なく、現郡域では輪之内町の弥生後期から古墳前期にかけての四郷よごう遺跡のみが著名。前掲の安八磨郡の「郡」は「評」を大宝律令によって修飾したものであろう。壬申の乱に際し、大海人皇子は村国男依らを通じて同評湯沐邑ゆのむらの湯沐令多臣品治に同評の兵を軍の先鋒として不破の道をふさぐことに成功している。湯沐邑は大海人側の美濃における軍事的・経済的基盤であった。当時の評域は現在の安八郡と大垣市の大部分に加え、少なくとも揖斐郡南部の平坦地に及んでいたと推測される。前掲の味蜂間郡春部里戸籍が残り、和銅二年(七〇九)一〇月二五日の弘福寺領田畠流記写(円満寺文書)に「味蜂間郡田壱拾弐町」と記されるが、「続日本紀」和銅元年三月二七日条に「安八郡人国造千代妻」が一度に三男を産んで稲四〇〇束と乳母一人を与えられたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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