日本歴史地名大系 「海氏村」の解説
海氏村
かいのじむら
[現在地名]天明町美登里 海氏・新村
近世中期以降は海氏(上海氏)・下海氏・海氏新村に分れ、東に海氏村、西に下海氏村、北に海氏新村がある。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると、田方六三町八反五畝余・畠方六町一反四畝余、分米八五七石四斗余とある。同一二年の検地帳では田七一町一反八畝余、うち上田七〇町六反二畝、畠一町八反九畝余、屋敷三町一反一畝余、分米九六四石六斗で、家数七八、男九七・女八二とある。肥後領高人畜家数船数調(永青文庫蔵)によると、一〇〇石より上の舟三艘・小舟五艘、水夫三九人がいる。「国誌」に海氏・下海氏・海氏新村があり、三村とも銭塘手永に属し、海氏村は「里俗上海氏村ト云」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報