日本大百科全書(ニッポニカ) 「清内路煙草」の意味・わかりやすい解説
清内路煙草
せいないじたばこ
江戸時代、信濃(しなの)国伊那(いな)郡清内路村(現在の長野県下伊那郡阿智(あち)村清内路地区)で生産された刻み煙草。清内路地区は現下伊那郡西部にあり、木曽(きそ)郡と境を接する。伊那谷南部では近世初期からタバコの栽培が盛んで、清内路地区でも、元禄(げんろく)年間(1688~1704)には栽培が始まったという。清内路煙草は口当りが軽く、口内が荒れず、火もちがよいと江戸で評判となり、吉原(よしわら)の遊女たちに愛用され、御女郎衆煙草とよばれたこともあった。明治以後も生産が継続し、1894年(明治27)には作付面積は51町余、産額1万7506貫に達している。1904年(明治37)には合名会社吉沢兄弟煙草商会が設立され、当時はまだ珍しい機械を備えたたばこ工場で、年間約7000貫の生産をあげ、主として東京方面に出荷された。
[小林計一郎]