清坂村(読み)きよさかむら

日本歴史地名大系 「清坂村」の解説

清坂村
きよさかむら

[現在地名]茨木市清阪きよさか

下音羽しもおとわ村の北東にある山間の村で、東は島上しまかみ萩谷はぎたに(現高槻市)、北は丹波国桑田くわた(現亀岡市)亀山かめやま街道が村北端にある清坂峠を経て丹波国に入る。清坂峠は鳥居とりい峠ともよばれ、「摂陽群談」に「鳥居峠 島下郡下音羽村の後にあり。自是丹波国九折村に出る峠也。所伝山神の衡門に因れり」と記す。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に村名がみえ、近世初頭は五ヶ庄ごかのしようの小村であった。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳によると村高一一六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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