清末村(読み)きよすえむら

日本歴史地名大系 「清末村」の解説

清末村
きよすえむら

[現在地名]下関市大字清末

周防灘に注ぐ神田かんだ川と浜田はまだ川に挟まれた平地に広がる。北は阿内おうち小月おづき、西は山田やまだ神田の各村と接し、南東は周防灘に面する。清末藩領。

永和三年(一三七七)六月の櫟木家文書に「清末別府」とみえる。「清末藩旧記」は「但当村清末与申者往昔神(ママ)皇后三韓御渡海の時分御船を造ら(ママ)しめ給ふ仁厚狭郡ニ而材木を剪□其梢爰ニ倒伏スト云亦当所八幡社より西に当り石井の池ケとて涌水有り時ニ干魃たりといへとも水絶間なし然るに尋常土民地中を望んて看ニ甚タ清水たり寔に野守の鏡水とや可申候然ば右池中の清水を指て当町を清水と□前申ならハしたるにてハ無之哉とも右大末の末清水の清を合して清末と申ならハしたる由地下人申伝候事」と由来を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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