20世紀日本人名事典 「清河純一」の解説 清河 純一キヨカワ ジュンイチ 明治〜昭和期の海軍中将 生年明治11(1878)年1月7日 没年昭和10(1935)年3月1日 出身地大阪府 学歴〔年〕海兵〔明治31年〕卒,海大卒 経歴明治31年海軍少尉に任官。日露戦争に第1艦隊参謀長として出征。のち皇族付武官兼海軍軍令部参謀長となり、海軍大学校教官、大正11年軍令部第1班長、14年海軍大学校校長を経て、15年中将となり第5戦隊司令官、昭和2年鎮海要港部司令官、4年舞鶴要港部司令官を歴任、5年軍令部出仕となる。この間、軍令部作戦課長、ワシントン軍縮会議随員、国際連盟海軍代表(大正12年)なども務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清河純一」の解説 清河純一 きよかわ-じゅんいち 1878-1935 明治-昭和時代前期の軍人。明治11年1月7日生まれ。海軍大学校教官,第五戦隊司令官をへて,昭和2年鎮海要港部司令官,4年舞鶴(まいづる)要港部司令官。ワシントン軍縮会議随員,国際連盟海軍代表もつとめた。海軍中将。昭和10年3月1日死去。58歳。大阪出身。海軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by