渡刈村(読み)とがりむら

日本歴史地名大系 「渡刈村」の解説

渡刈村
とがりむら

[現在地名]豊田市渡刈町・豊栄ほうえい町・さいわい

矢作川とともえ川の合流点近くにあり、集落の南側を明治用水が貫流する。幸町寺前てらまえの鹿島社にある文明九年(一四七七)銘の棟札に「大檀那三州国碧海庄都賀利郷住人(藤カ)原重次」とあり、「都賀利郷」と記す。近世初めは岡崎藩領であるが、正保四年(一六四七)から慶応二年(一八六六)までの渡刈村年貢免状三六通(渡刈区有)によれば、明和元年(一七六四)から同六年までは幕府領となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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