デジタル大辞泉
「豊栄」の意味・読み・例文・類語
とよさか【豊栄】
新潟県北部にあった市。阿賀野川下流域に位置し、米作や青果生産が盛ん。中心の葛塚は六斎市場として発達。平成17年(2005)3月、新潟市に編入。→新潟
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とよ‐さか【豊栄】
- 〘 形容動詞ナリ活用 〙 太陽がのぼり美しく輝くさま。
- [初出の実例]「朝にはあまのかぐ山の一路をとよさかにのぼり」(出典:古今連談集(1444‐48頃)上)
とよさか【豊栄】
- 新潟市の地名。旧市名。中心地区の葛塚は、江戸時代に六斎市場町として発達。昭和四五年(一九七〇)市制。平成一七年(二〇〇五)新潟市に編入。
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豊栄(新潟県)
とよさか
新潟県北部にあった旧市名(豊栄市)。現在は、新潟(にいがた)市の北東部(北(きた)区の一部)にあたる。1955年(昭和30)葛塚(くずつか)町と岡方(おかがた)、木崎(きざき)の2村が合併して豊栄町と改称、1970年市制施行。2005年(平成17)豊栄市は新津(にいつ)市、白根(しろね)市、小須戸(こすど)町、横越(よこごし)町、亀田(かめだ)町、西川(にしかわ)町、岩室(いわむろ)村、味方(あじかた)村、潟東(かたひがし)村、月潟(つきがた)村、中之口(なかのくち)村とともに新潟市に編入。旧市域は阿賀野(あがの)川下流左岸の福島潟低湿地に位置する田園都市。国道7号が通じ、日本海東北自動車道の豊栄新潟東港インターチェンジがある。葛塚地区は下越南部の六斎(ろくさい)市場町としてにぎわい、また新井郷(にいごう)川河川交通の終点河岸(かし)場町で、葛塚縞(じま)の綿工業地として栄えた。第二次世界大戦後は新潟―新発田(しばた)間に国鉄(現、JR)白新線(はくしんせん)が開通し、新潟駅へ20分で達せられるようになり、駅前や早通(はやどおり)に住宅団地造成が進捗(しんちょく)して、ベッドタウンに急変した。また、福島潟も国の干拓事業の完遂で乾田化が進み、古くからの米作や木崎梨(きざきなし)の産地が青果のビニルハウス栽培に変わり、青果供給地になっている。米作が目的で46%が干拓された潟の広大な干拓地は、減反政策のために苦慮している。北部は新潟東工業港に隣接して工業開発が盛んで、新潟競馬場も新設され、観光開発にも力が注がれている。
[山崎久雄]
豊栄(広島県)
とよさか
広島県中部、賀茂郡(かもぐん)にあった旧町名(豊栄町(ちょう))。現在は東広島市(ひがしひろしまし)の一地区。沼田(ぬた)川の支流椋梨(むくなし)川の上流に沿う吉備(きび)高原上に位置。旧豊栄町は1944年(昭和19)乃美(のみ)、川原の2村が合併して豊栄村となり、1949年(昭和24)町制施行。2005年(平成17)東広島市に編入。国道375号、486号が通じ、バスで東広島市の中心市街地へ1時間の距離にある。農業が主体で、米作のほか、蔬菜(そさい)・リンゴ栽培、酪農、牧畜などを行う。また、松林が多くマツタケの産地として知られる。
[北川建次]
『『豊栄町誌』(1968・豊栄町)』
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豊栄[市]【とよさか】
新潟県北部,阿賀野川下流右岸にある旧市。1970年市制。新潟市の北東隣に位置し,白新線が通じる中心の葛塚は市場町,葛塚縞(じま)の機業地として発達。市中央部にあった福島潟は,長年の干拓と1961年に設置された新井郷(にいごう)川排水施設によって乾田化され,遊水池(面積約200ha)を残すのみとなった。遊水池は全国有数の渡り鳥の飛来地として有名。平野一帯は水田地帯で,砂丘地では果樹,野菜も多産。1970年ごろから新潟市のベッドタウンとして宅地化が進んでいる。新潟競馬場がある。2005年3月新津市,白根市,中蒲原郡小須戸町,横越町,亀田町,西蒲原郡岩室村,西川町,味方村,潟東村,月潟村,中之口村と新潟市へ編入。76.85km2。5万433人(2003)。
豊栄[町]【とよさか】
広島県中部,賀茂郡の旧町。沼田(ぬた)川の支流椋梨(むくなし)川の最上流域を占め,吉備(きび)高原西部の山間盆地にある。米,特産のゴボウなどの野菜,葉タバコを産し,酪農も営む。マツタケを産する。農機具製造,自動車部品製造などの工場も立地。2005年2月賀茂郡黒瀬町,福富町,河内町,豊田郡安芸津町と東広島市へ編入。72.56km2。4517人(2003)。
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豊栄
とよさか
新潟県中部,新潟市北東部の旧市域。阿賀野川の下流部東岸にある。 1955年葛塚町と木崎村,岡方村の2村が合体して豊栄町となり,1959年長浦村を編入。 1970年市制。 2005年新潟市に編入。 2007年政令指定都市化に伴い北区の一部となった。中心市街地の葛塚は福島潟から流出する新井郷川の排水口にあたり,舟運の終点河岸として発達し,六斎市も開設され繁栄した。古くから織物業が盛ん。新井郷川流域の農村部では低地での米作,砂丘地での果樹・野菜栽培が行なわれる。北部に日本中央競馬会の新潟競馬場がある。
豊栄
とよさか
広島県中南部,東広島市北東部の旧町域。沼田川の支流椋梨川 (むくなしがわ) の上流域にある。 1949年町制。 1955年吉川村と上山村の一部を編入。 2005年東広島市に編入。中心集落の乃美 (のみ) は近隣の商業中心地。農業では米作と野菜園芸が中心で,畜産,酪農も行なう。マツタケを特産。農業機械や自動車部品など農村工業の進出が著しく,兼業農家が大部分を占める。
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豊栄 ほうえい
811-884 平安時代前期の僧。
弘仁(こうにん)2年生まれ。興福寺の学僧。法相(ほっそう)宗。貞観(じょうがん)12年維摩会(ゆいまえ)講師(こうじ),13年宮中御斎会(ごさいえ)・薬師寺最勝会(さいしょうえ)の講師をつとめ,16年権(ごんの)律師となる。元慶(がんぎょう)8年死去。74歳。
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