朝日日本歴史人物事典 「湯浅宗重」の解説
湯浅宗重
平安後期から鎌倉前期の武士。紀伊湯浅党の祖。父は宗良。平治1(1159)年の平治の乱の際,熊野詣の途中でこれを聞き,都に引き返そうとした平清盛に30余騎を率いて加勢し,六波羅入りを助けた。治承・寿永内乱期には,源頼朝に挙兵を勧めた文覚と親しい関係にあったことから中立的立場をとったが,屋島の合戦後,平重盛の子忠房が湯浅氏を頼ったのを受け入れ,一族500余を率いて源氏方の熊野別当湛増の軍と戦った。しかし頼朝は文覚を通じて帰服を勧め,忠房は降人となった。源義経・行家謀反の際,これに同調せず頼朝に忠誠を尽くしたことを賞されて相伝の所領を安堵され,紀伊湯浅党発展の基礎を固めた。<参考文献>安田元久『武士団』
(野口実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報