湯浅宗重(読み)ゆあさ むねしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯浅宗重」の解説

湯浅宗重 ゆあさ-むねしげ

?-? 平安後期-鎌倉時代の武士
湯浅宗良(むねよし)の子。紀伊(きい)湯浅党の祖。平治(へいじ)の乱で平清盛をたすけて有力な家人(けにん)となる。平家没落後,平重盛の子忠房をまもり湯浅城にこもったが,源頼朝にくだり,文治(ぶんじ)2年(1186)所領安堵(あんど)された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の湯浅宗重の言及

【紀伊国】より


[武家政権と紀州の武士団]
 平氏政権期には,中央政界と深いつながりをもった武士団が台頭した。その代表的なものが湯浅宗重と熊野別当湛快で,彼らは平治の乱の際,熊野詣の途中にあった平清盛を助けて乱を勝利にみちびき,平氏の有力な家人となった。ところが源平内乱の末期には,宗重は一族の行慈が文覚の弟子であった関係から源氏に寝返り,湛快の子湛増もまた熊野水軍を率いて源氏の勝利に貢献した。…

【湯浅党】より

…中世紀伊国の武士団。本領の湯浅荘に拠る惣領家を中心に,得田,糸我(いとが),石垣,保田,阿氐河(あてがわ)氏などの庶子家,および婚姻関係で結ばれた〈他門〉の諸氏からなっている。湯浅氏の確実な祖は権守(ごんのかみ)を称した藤原宗重で,彼は平治の乱(1159)に際し,熊野詣での途上にあった平清盛をたすけて帰洛(きらく)をうながし,平氏の勝利に重要な役割をはたした。それ以降,平氏の有力な家人(けにん)となり,しばしば上洛して貴族や上皇と交渉をもち,僧兵の鎮圧などに活躍した。…

※「湯浅宗重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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