日本歴史地名大系 「潤村」の解説 潤村うるうむら 福岡県:前原市潤村[現在地名]前原市潤雷山(らいざん)川左岸に位置し、東西に唐津街道が通る。東は志登(しと)村・波多江(はたえ)村、西は浦志(うらし)村。閏村とも記す。天正六年(一五七八)七月五日の原田了栄知行充行状(児玉採集文書)によれば「池田下河原合戦」などにおける波多江丹波守の軍功を賞し志摩(しま)郡潤村のうち七町を宛行っている。土師(はじ)にあった臨済宗の平等寺は大友氏が尊崇し、境内は方一町あったという(続風土記)。元亀三年(一五七二)一月二八日、池田(いけだ)河原(瑞梅寺川)で大友氏の柑子岳(こうじたけ)城(現福岡市西区)城督臼杵進士兵衛鎮氏と原田了栄が戦い、敗れた鎮氏は同寺に逃れ自刃したという(改正原田記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by