唐津街道(読み)からつかいどう

日本歴史地名大系 「唐津街道」の解説

唐津街道
からつかいどう

豊前国小倉から筑前国博多・福岡を経て肥前国唐津へ至る街道。部分的に赤間あかま街道・内宿うちじゆく通・中筋なかすじ往還ともよばれる。慶長筑前国絵図では、豊前国境から藤田ふじた村―木屋瀬こやのせ(現北九州市八幡西区)赤間(現宗像市)畝町あぜまち(現福間町)青柳あおやぎ(現古賀市)箱崎はこざき(現福岡市東区)―博多―福岡―姪浜めいのはま(現福岡市西区)今宿いまじゆく(現同上)前原まえばる村を結ぶ道が唐津街道になる。元禄豊前国絵図では小倉城下から筑前国中原なかばる(現北九州市戸畑区)への街道が描かれ、元禄筑前国絵図には中原から大渡おおわたり(現洞海湾の湾入部)を渡り、若松わかまつ(現北九州市若松区)芦屋あしや(現芦屋町)―赤間村(現宗像市)に至る街道が太い線で描かれている。また慶長筑前国絵図にはなかった長崎街道が描かれ、木屋瀬村で長崎街道と唐津街道が二手に分れる。明和元年(一七六四)の御国中宿駅人馬賃銭増一件(山田家文書)によれば、小倉―若松―芦屋―赤間―畝町―青柳箱崎―博多―福岡―姪浜今宿前原深江ふかえ(現二丈町)の宿駅(小倉・深江を除く一一宿は筑前二一宿に含まれる)を経て肥前国に続く街道があげられ、「道程弐拾弐里弐拾九町此外壱里六町増加。


唐津街道
からつかいどう

伊万里町から徳末とくすえ(徳須恵とも書く、現東松浦郡北波多村)を経て唐津城下へ至る道。慶安二年(一六四九)の肥前一国道則帳には次のように記される。

<資料は省略されています>

徳末では伊万里街道ともいわれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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