日本大百科全書(ニッポニカ) 「澱看の席」の意味・わかりやすい解説
澱看の席
よどみのせき
京都市左京区黒谷(くろだに)の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)塔頭(たっちゅう)西翁院にある茶室。藤村庸軒(ようけん)の好みで、1685~86年(貞享2~3)ころに造立された。本堂の北西に接続され、西向きに建つ。杮葺(こけらぶ)き片流れ屋根の前面に切妻造杉皮葺きの差し掛け屋根を設けた珍しい外観を組み立てている。内部は三畳敷で、宗旦(そうたん)の三畳敷ときわめてよく似ている。点前座(てまえざ)と客座との境に中柱を立て、無目(むめ)を一線に通して仕切壁をつけ、そこに火灯口をあけて「道安囲(どうあんがこい)」とか「宗貞囲」とよばれる構えを形成している。床(とこ)は板敷きの室床(むろどこ)であり、用材の取り合せのうえでも甚だ佗(わ)びた床構えである。天井は片流れの総化粧屋根裏という大佗びの表現で、道安囲のつつましい性格をいっそう強調している。江戸時代には「紫雲庵(しうんあん)」とよばれ、「反古(はんこ)庵」とも書かれていた。点前座勝手付の下地窓(したじまど)から淀(よど)のあたりまで遠望できたといい、明治になって「澱看(淀見)の席」の呼称が生じた。
[中村昌生]