改訂新版 世界大百科事典 「藤村庸軒」の意味・わかりやすい解説
藤村庸軒 (ふじむらようけん)
生没年:1613-99(慶長18-元禄12)
江戸初期の茶匠。千宗旦の門人で,宗旦四天王の一人にあげられる。庸軒流茶道の開祖。通称源兵衛尉,名を政直,のち当直。反古庵と号す。近江久田家の出で,京の呉服商藤村家の養子となる。久田家は庸軒の祖父刑部が利休の妹を妻とし,兄宗利の妻くれが宗旦の女(むすめ)であるところから,千家とのつながりは深い。茶の湯を初め藪内紹智について学び,次いで小堀遠州や金森宗和に学んだが,壮年に及んで宗旦に師事し,利休の台子の法を直伝されている。また三宅亡羊や山崎闇斎から儒学の教えを受け,その漢学的素養は彼の茶の湯にも大きく影響して,好みの茶器にも,茶の湯の世界にも文人的感覚が色濃く反映されている。京都黒谷金戒光明寺内の西翁院の澱(淀)看席(よどみのせき)や大津市堅田の居初家に残る天然図画亭(てんねんずえてい)は庸軒の好みとして知られている。
執筆者:筒井 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報