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藤村庸軒 ふじむら ようけん

美術人名辞典の解説

藤村庸軒

江戸前期の茶人久田宗栄の次男、京都の呉服商藤村家の嗣子初名は政直、のち当直、別号反古庵・徹翁。茶湯は初め藪内真翁紹智に、ついで小堀遠州金森宗和に学び、千宗旦の門に入る。千家の全式を受けて四天王の一人となる。漢詩文に優れ、『庸軒詩集』がある。元禄12年(1699)歿、87才。

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百科事典マイペディアの解説

藤村庸軒【ふじむらようけん】

江戸初期の茶人。名は政直,のちに当直。通称は十二屋源兵衛。京都の人。小堀遠州茶法を学び,のち千宗旦に師事し,庸軒流を開いた。山崎闇斎漢学を学び,作歌,挿花にも長じた。
→関連項目中村宗哲

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤村庸軒 ふじむら-ようけん

1613-1699 江戸時代前期の茶人。
慶長18年生まれ。久田宗栄(そうえい)の次男。京都の人。2代藪内紹智(やぶのうち-じょうち),小堀遠州,のち千宗旦(そうたん)に師事し,庸軒流をひらく。宗旦四天王のひとり。茶席に近江(おうみ)(滋賀県)堅田居初(いぞめ)邸の天然図画(ずえ)亭,京都黒谷金戒(こんかい)光明寺西翁院の澱看席(よどみのせき)がある。漢詩文にもすぐれ,「庸軒詩集」をあらわした。元禄(げんろく)12年閏(うるう)9月17日死去。87歳。名は政直,当直。通称は源兵衛。別号に反古庵,徹翁。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤村庸軒

没年:元禄12.9.18(1699.10.10)
生年:慶長18(1613)
江戸前期の茶人,千宗旦の高弟。茶道庸軒流の祖。京都の呉服商。屋号は十二屋,名は源兵衛,政直,当直。反古庵と号した。西洞院下立売に住み,藪内を,次いで小堀遠州に茶を学び,のち千宗旦について皆伝を得る。茶道のかたわら詩文にも親しみ,漢詩集『庸軒詩集』が没後の享和3(1803)年に板行されている。庸軒が創案した茶道具が多く残っているほか,好みの茶室として,京都金戒光明寺内西翁院の澱看席(元紫雲庵)や北村幽庵との合作になる近江堅田の天然図画亭などが現存。その茶系は,庸軒が伊勢藤堂家のご用商人であった関係から藩主藤堂高次が茶頭役の井野口宗久を派遣してその茶道を学ばせたため,伊勢に伝わったほか,次男正員が伝えた茶系などもあり,現在,いくつかの派に分かれて庸軒流が伝わっている。その茶風を知る書として,庸軒が口述し,女婿の久須美疎安が筆記した『茶話指月集』や,孫弟子に当たる久保又夢が記した『茶道望月集』などがある。<参考文献>『茶道全集』5巻

(谷端昭夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじむらようけん【藤村庸軒】

1613‐99(慶長18‐元禄12)
江戸初期の茶匠。千宗旦の門人で,宗旦四天王の一人にあげられる。庸軒流茶道の開祖。通称源兵衛尉,名を政直,のち当直。反古庵と号す。近江久田家の出で,京の呉服商藤村家の養子となる。久田家は庸軒の祖父刑部が利休の妹を妻とし,兄宗利の妻くれが宗旦の女(むすめ)であるところから,千家とのつながりは深い。茶の湯を初め藪内紹智について学び,次いで小堀遠州や金森宗和に学んだが,壮年に及んで宗旦に師事し,利休の台子の法を直伝されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤村庸軒
ふじむらようけん

[生]慶長18(1613).京都
[没]元禄12(1699)
江戸時代初期の茶匠。表千家宗旦の門下で四天王の一人。久田宗栄の次男。名は政直,のち当直,通称は十二屋源兵衛。三宅亡羊,山崎闇斎に漢学を学び,また和歌華道にも長じ,茶法は庸軒流と称した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤村庸軒
ふじむらようけん
(1613―1699)

江戸中期の茶匠。千宗旦(せんのそうたん)の弟子。通称源兵衛、名は政直、のち当直。近江(おうみ)(滋賀県)の久田宗栄(そうえい)の子で、京呉服商藤村家の養子となる。藤村家は伊勢(いせ)藤堂家の御用商人であった関係から、これに参仕した。儒学を三宅(みやけ)奇斎(亡羊(ぼうよう))、のち山崎闇斎(あんさい)に学び、詩をよくした。茶は初め藪内紹智(やぶのうちじょうち)、小堀遠州(こぼりえんしゅう)に学び、のち千宗旦に師事、「茶伯子(ちゃはくじ)」といわれ、宗旦四天王の1人に数えられる。その茶席として西洞院下立売(にしのとういんしもたちうり)(京都市)の居宅に営んだ反古庵(はんごあん)、近江堅田(かたた)(滋賀県大津市)の居初(いぞめ)邸につくった天然図画(てんねんずえ)亭、および晩年、黒谷金戒光明寺西翁院(くろだにこんかいこうみょうじさいおういん)(京都市左京区)に営んだ澱看(よどみ)(淀見)の席が知られ、後二者は現存する。『庸軒詩集』は没後にまとめられたもの。『茶話指月集(ちゃわしげつしゅう)』を著した久須見疎安(くすみそあん)は女婿(じょせい)。墓は黒谷にある。[村井康彦]

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