瀬利村(読み)せりむら

日本歴史地名大系 「瀬利村」の解説

瀬利村
せりむら

[現在地名]篠山市瀬利

今谷いまだに村の西にあり、はた川が流れる。芹とも記される。北部の八百里やおり山に畑氏一族の八百里城の跡がある。同城は標高四四二メートル、比高二〇〇メートルにあり、多紀たき郡の在地領主畑氏の山城といわれ(貞享記)平時の居館は大淵おおぶちの大淵館だったという。山頂の主郭から尾根沿いに曲輪が東西に広がる連郭式の構造で、主郭は東西三二メートル・南北一〇メートルで、北と西の縁に土塁がめぐっている。このうち西側は土塁の幅が大きくなり、櫓台状の土壇になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む