日本歴史地名大系 「瀬利村」の解説 瀬利村せりむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区瀬利村[現在地名]篠山市瀬利今谷(いまだに)村の西にあり、畑(はた)川が流れる。芹とも記される。北部の八百里(やおり)山に畑氏一族の八百里城の跡がある。同城は標高四四二メートル、比高二〇〇メートルにあり、多紀(たき)郡の在地領主畑氏の山城といわれ(貞享記)、平時の居館は大淵(おおぶち)の大淵館だったという。山頂の主郭から尾根沿いに曲輪が東西に広がる連郭式の構造で、主郭は東西三二メートル・南北一〇メートルで、北と西の縁に土塁がめぐっている。このうち西側は土塁の幅が大きくなり、櫓台状の土壇になっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by