瀬花留部村
するぶいむら
[現在地名]龍郷町瀬留
久場村の南に位置し、集落は笠利湾の深い入江に臨む。名瀬間切龍郷方のうちで、スィルブィ、シルベなどともいう。正徳二年(一七一二)から田畑佐文仁が行った新田開発のうちに当地も含まれるとされる(奄美大島史)。「三州御治世要覧」では瀬毛留部村と記す。「大島私考」には龍郷方一〇ヵ村のうちとして「瀬花留部村」とみえ、高一九五石余、うち享保内検後の開地は一〇石余、損地一石余。海賊やウランダ(西洋人)が上陸した際の処置を久場村と申合せており、当村側では聖林の「森ぐすく」の後ろの峰「たぐすく」に籠って陶器片をぶつけることになっていたという(名瀬市誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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