鹿児島県本土の南方洋上、奄美大島(あまみおおしま)の北西部にあった旧市名(名瀬市)。現在は奄美市の中央部を占める。旧名瀬市は1946年(昭和21)市制施行。奄美諸島の中心都市。2006年(平成18)大島郡笠利(かさり)町、住用(すみよう)村と合併し奄美市となった。旧名瀬市街は名瀬湾奥の狭い沖積平野を中心に発達しており、背後は古生層の山地が取り巻く。奄美大島の表玄関で、鹿児島、沖縄を結ぶ航路の寄港地としてにぎわう。古代、大和(やまと)朝廷の朝貢圏に属し、遣唐使の南島路の寄港地。中世、琉球王国(りゅうきゅうおうこく)に属するが、1609年(慶長14)島津氏の琉球侵略以後は薩摩(さつま)藩直轄領。伊津部(いつぶ)に代官所が置かれ、その後、政治・経済の中心地となる。第二次世界大戦後、アメリカ軍政下に置かれたが、1953年(昭和28)日本に復帰した。大島支庁をはじめ国や県の出先機関、金融機関や商社の支店・出張所が集中している。過疎化が進む奄美諸島のなかで、人口増加が著しく、一時は県下第4位の都市にまで成長した。その後人口は1985年より減少しはじめ、1996年(平成8)には県下第5位となった。第三次産業のほか、伝統の大島紬(つむぎ)の生産が盛んで、紬産業従事者は1995年には市域全人口の3.2%に達し、紬の生産高は奄美諸島全体の5割強を占めていたが、その比率は年々低下している。大島紬資料館や、紬の製造工程を見学できる大島紬村がある。大浜海岸や摺子(すりこ)崎、金作原(きんさくばる)原生林は奄美群島国立公園の一部。特別天然記念物アマミノクロウサギの生息地である。
[平岡昭利]
『『名瀬市誌』上中下(1968、1971、1973・名瀬市)』
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