朝日日本歴史人物事典 「火葦北阿利斯登」の解説
火葦北阿利斯登
6世紀,宣化~敏達天皇のころの九州の豪族。『日本書紀』によると,火(肥)の葦北国造刑部靫部阿利斯登といい,宣化のとき,大伴金村の命で軍を率い百済に派遣された。その子の日羅も父と渡航したか,あるいは百済に生まれて,百済王に仕えて達率の官位を持ち,大和王権との外交交渉のために敏達朝に日本に来た。阿利斯登は君姓を帯びる火の葦北(熊本県芦北地方)の国造の地位を占める有力首長であり,王権に参加して,允恭のキサキ 忍坂大中姫 にちなんで各地に置かれた刑部の集団を管理し,また大伴氏のもとで宮殿の警備などに当たる靫部(靫負)のリーダーとなった。葦北は朝鮮との海上交通の門戸であり,海外への派遣基地でもあった。名は都怒我阿羅斯等,加羅国王子阿利斯等などの類例からみて,個人名でなく首長を表す称号かもしれない。
(鈴木靖民)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報