日本古代,朝廷の守衛にあたった武力組織の一つ。靫(ゆき)は矢を入れて背負う道具で,古墳の壁画や埴輪にも見られ,古代では悪霊を払う呪力をもつものとして尊ばれた。靫負は靫を背負う者の意で,弓矢を武器として朝廷に奉仕した。《日本書紀》には白髪部(しらがべ)靫負,刑部(おさかべ)靫部などの称が見えるので,白髪部,刑部など朝廷に所属する名代(なしろ)の部の集団から資養をうけたとみられ,それらの部の名称から5~6世紀に成立したものと推定される。大伴・佐伯両氏の伝承によると,5世紀後半の雄略天皇のとき,大伴室屋が靫負を統率して宮門の警衛にあたったといわれ,大伴氏との関係が密接であった。靫負に関係する伝承や地名が西日本に多いので,主として西日本の豪族層から採用されたと考えられる。7世紀に入ると武力組織としては衰退したらしく,令制にはその実体は継承されず,〈ゆげいのつかさ〉の称だけが五衛府の一つである衛門府にうけつがれた。
執筆者:笹山 晴生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代宮廷の警備に従事した武人の称。舎人(とねり)が太刀を佩(は)くのに対して、弓矢を負う者の呼称か。その資養に靫負部(ゆげいべ)が置かれた。靫負(伴(とも))と靫負部(部民(べみん))の区別は難しく、国造(こくぞう)クラスの者も靫部(ゆげいべ)(靫負部)と記される(『日本書紀』敏達(びだつ)12年是歳条)。大伴室屋(おおとものむろや)が靫負3000人を率いたとあり(『令集解(りょうのしゅうげ)』所引弘仁2年(811)官符(かんぷ))、大伴氏の配下にあった。令制下では衛門府(えもんふ)の呼称「靫負司(ゆげいのつかさ)」にその名称と役割が継承される。
[森 公章]
『笹山晴生著『日本古代衛府制度の研究』(1985・東京大学出版会)』
大化前代における大和朝廷の親衛軍。靫(ゆき)は矢をいれて背負う道具で,「ゆげい」は「ゆぎおい」の義であり,弓矢を身につけるところからきた名称。おもに西国の豪族の子弟が奉仕し,名代(なしろ)の部によって資養され,武装して宮門の守衛などにあたった。大伴氏に統率されていたらしい。令制の衛府では,衛門府が靫負の伝統をひくとして「ゆげいのつかさ」とよばれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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